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子どもたちの笑顔のために、毎日を頑張っているお母さんや女性を応援し続けるコーチ関向いずみ です。











先日、息子の三者面談がありました。


終始、大笑いの面談でした爆笑


成績が良かった訳ではありません。


息子曰く


「中の中の下だな。」


「ちょっと。


それでいいわけじゃないんだからね笑い泣き!」


と先生と一緒にツッコむ始末。


そんなやりとりで終わりました。


何を言っても響かない。


ビッグマウスかと思えば


意外と小心者だったり。


面白い人です爆笑




でも、少し前まではそんな息子を


『面白い』とは全く思えませんでした。


私がいつもキーキームキーしてました。


「なんでそういうことになるの?」


「普段ちゃんとやってないからでしょ?」


だから面談の後は


だいたい大反省会というか


私がひたすら怒る(問いつめる)のが


いつものパターンでした。




何が変わったのかな?


と考えてみると、


やっぱり『私』が変わったんだな


と思います。


通知表の評定(数字)も


ただの数字になってきました。


「無関心になった」わけではないんです。


良い意味で『あきらめている』。


息子の将来をあきらめているのではなくて、


自分のでる幕ではないと


あきらめることができるようになった。


そんな感じがします。










前の私は


「この人は何もわかってない!」


「世の中に出たら絶対苦労する!」


「失敗しないようにさせなくちゃ!」


そんな気持ちが強かったんですね。


もちろん


我が子に苦労してほしくない。


失敗してほしくない。


という親心ではあったと思います。


でも、そんな親心を


もっともらしい言い訳にして、


息子が何もわかってないと決めつけて、


『親の言う通りにしていれば大丈夫』と


言い続けてきたような気がします。


結局は自分が


ただ安心したかったんだと思います。


恥をかきたくなかったのかもしれません。


そんな自分に気がついて


『あ、私の将来じゃなくて


息子の将来なんだった。』とわかったら、


それまでは気になって仕方がなかった


通知表の数字たちも


静かに並んでいるだけになりました。


そうしたら


通知表の数字よりも、


学校での様子とか


先生との関係とか


そういうものが


聞こえてくるようになりました。


『この人(息子)は、意外と


人が好きなんだな。』とか


『ちょっとは真面目なところも


あるんだな。』とか。


『なんだかんだ


ひょうひょうと生きていきそう。』


なんて思ったら、


笑えてきました。


少しずつ息子のことを


信じれるようになってきたのかな。


そう思った三者面談でした。