私の一番古い記憶は、父方の祖父のお葬式。
亡くなったのは、私が2歳になる前の月なので、1歳11ヶ月の頃の記憶、ということになる。
お葬式は祖父母の家で、白装束を着せられて、白いお花がいっぱいに入った棺の中で横たわる祖父を見て、意味はわからなかったけれど、なんだか恐ろしい気持ちになったことを覚えている。
もう祖父が動くことも、お話をすることもできないと聞かされて、「寝ているから、起きたらいいだけなのに、どうして?」と思ったことも覚えている。
お別れに、このお花を祖父の横に置いてあげてと言われて、お別れしたくないから置きたくないと思ったけれど、なんとなくそれを言えなかったことも、覚えている。
交通事故だったので、父や母、もちろん祖母にとっても青天の霹靂だったろう。後から聞いたところによると、その前の年は曽祖父が旅先で急逝しており、そのバタバタが落ち着いたと思った頃の事故だったらしい。
そして、先日唐突に思い出したことがある。祖父のことではなくて、私が生まれてから一番最初に友達になった子たちの話。
私は4歳になる直前まで、父の仕事の関係で、愛媛県の八幡浜市というところの社宅に住んでいた。同じ社宅には、同じ年の女の子と、ひとつ年上の女の子がいて、いつも3人で遊んでいた。毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった、私の中で、おそらく一番幸せだった時代。
でも、4歳になる直前、父の転勤で松山市に引っ越すことになる。
引越しの日、とにかく泣いた。絶対に嫌だ、自分だけの頃と駄々をこねて、わんわん泣いた。
行く予定だった幼稚園にも行けないし、お友達とも会えなくなるし、引っ越していいことなんてひとつもないじゃないかと思って、わんわん泣いた。
そして、小学2年生の終わりには、一番の親友が引っ越すことになり、クラス全員がいる中で、ボロボロと大粒の涙を流して泣いてしまった。人前で泣くことなんて、何があってもしないとすら、既に思っていたのに。
その親友は、中学生の時に戻ってきて、それはそれで切ない思い出になるのだけれど、それはまた別の話。
八幡浜からの引越しの話は、やはりきのぴーとのもっちのセッションを受けて、2、3日経過して思い出したこと。
祖父のお葬式と、小学生の時の親友が引っ越した時のことは覚えていたけれど、いろんな記憶の中で遠くに押しやられてもいた。
だから、最初の引越しの記憶を思い出した時、私の中でなんとなく、何かがつながったような気がした。
人は、12歳までに受けた体験が、その後の人生や価値観に、大きく影響を及ぼすことが多いらしい。
おそらくだけど、私は、自分の世界で安心して、大切な人と過ごすことを、みんなにしてほしいと思っているんじゃないかな。
不登校の活動は、ママのためというより、ごめんなさい、子供のためにやっているところが大きい。実は。
ママが子どもを受け入れることができたら、子供が安心してのびのび生きることができると信じているから、子どもたちのためにそれを届けたい。
ママのためには、どっちかというと、自分の親やパートナーに対して悩みを持っているならば、そこをほぐして、自分の家庭で安心して心地よく生きてほしい。
だって、せっかく縁があって一緒の屋根の下で暮らすことになったんだもん。
これは、自分自身がずっと夫とのパートナーシップがギクシャクしていた時期があって、それでも今は安心して暮らせる関係性に再構築できたから、素直に思えるようになったのかもしれない。
だって以前は、「さっさと離婚しちゃえばいいじゃん。もしくは、離婚に向けて、着々と準備しておけばいいじゃん」としか思わなかったから。笑
なんで私はこう思うのかなあ?これがやりたいと思うのかなあ?
最近そう思って悩むことが多かったんだけれど、そのヒントを掴んだ気がしたよ。
もちろん、私は両親もまだ健在だし、幼い頃は祖父以外の喪失の体験って、実はない。だから、喪失の体験と言ってしまうには、全然小さなものだと思う。
でも、当時の幼かった私には、十分インパクトがあったんだと思う。
私はもしかしたら、何かを失っても、安心して傷つくことができる場所を、みんなに持っていて欲しいのかもしれない。
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