通信制高校3年生の長男は、1年生の秋くらいから不安定になっています。不安定になって1年間くらいかなって思っていたけど、改めて書くともう2年です。時間が経つのって早いなあ。

 

 

それが、ここ1週間くらい、驚くほど落ち着いてきました。

 

 

 

2週間ほど前にはやっぱりひどくイラついており、頓服で出されたリスパダール(癇癪を抑えるお薬)も早々に使いきっていたというのに・・・。

 

 

考えられる要因はいくつかあります。玄米を中心とした食事療法、抗うつ剤の処方、温圧くん、眠る環境を整えたこと、などなど・・・。

 

 

でも一番は、長男が「自分責め」をやめ始めたことじゃないか、と思います。

 

 

 

 

これって共依存?

長男は何度も書いていますが、非常に自己肯定感が低くなっています。過去の様々なトラウマや、それによる認知の歪みが原因だとわたしは考えており、ここはとにかく傾聴しかないと、何年も「聞く」に徹してきました。心からの「聴く」は、できないことの方が多かったけれど。

 

 

でもこの数ヶ月で、共依存気味になっているんじゃないか?という疑問が、わたしの中に湧き上がりました。

 

 

 

ある時から、「○にたい」あるいは「ブッ○す」の言葉が、「お母さん、たすけて」に聞こえるようになっていたわたしは、とにかく助けたい、助けなきゃ、と思ってきました。

わたしが生きている間には、わたしの言うことを素直に聞いている間には、なんとか他人に危害を加えないようにはしておかないと、という気持ちが少なからずありました。

 

 

 

ただ、ここ半年くらい、わたしにしかぶつけてこないこの真っ黒な叫び声は、ねじけた甘えなんじゃないかなという気がしてきたんです。

 

 

理由をうまく言語化することはできませんが、「どうしたいの?どうして欲しいの?」と突き詰めて聞いていったときに、最後に出る言葉が決まって「助けて欲しい」「甘えたい」だったからです。

 

 

 

もしかして、癇癪を起こさないと、助けてもらえないと思っているのでは?

 

 

 

長男がまだ中学生のころ、わたしの前でしか癇癪を起こさないことを、カウンセラーから指摘されたことがあります。そのあとわたしは夫と長男の間に入るのをやめて、ようやく長男は、夫に対しても自分の気持ちをぶつけ、癇癪を起こすようになりました。

 

 

 

暴れっぷりを目の当たりにした夫は、そのあたりから、少しずつ変わってきたように思います。

 

 

時間はかかったけれど、良かった・・・・。そう思っていましたが、どうやらそれが、長男にとっての「癇癪の成功体験」になってしまったのではないかな、と思ったんです。

 

 

もちろん、長男は無意識だろうし、当時はそれが必要だったと思います。

 

 

でも、それが行きすぎて、わたしに寄っ掛かりすぎているんじゃないか、という気になりました。

 

 

 

だから、この数ヶ月くらい、わたしは長男の対応を変えてきました。もちろん、話は聞きます。でもある程度聞くと話を止めて、長男のねじけた認知を指摘することに徹しました。

加えて、自分の気持ちをしっかり伝えることも。

 

 

 

例えば、「勉強しないと、価値がない。だから僕はダメだ」と言い始めたら、なぜ価値がないのか、なぜそう思うのか、誰かにそう言われたのかをひとつひとつ問うていきました。途中で話をすり替えられてもそこに乗らず、元の話題に戻し続けて。

そうすると、「昔、勉強しないと怒鳴られたから」「だから、価値がないって思い込んでしまった」というところに、ほぼ行き着きます。

 

 

以前はそこで、「辛かったね、お母さんも守ってあげられなくてごめん」と、気持ちに寄り添う言葉をかけていました。ですが、この数ヶ月は、「今はどうなの?今もそうなの?」と、今はそうじゃないことを確認してもらい、「昔は確かに辛かったと思う。でも、それをなんで今も引きずっているの?なんの得があるの?」と、あえて突き放すようにしました。

 

 

そうすると、「やっぱり僕が悪いんやな」と言い出します。なので、「そんな話はしていない」と、短くバッサリ返答。その上で、「その思考は、しんどいと思うよ。苦しいから助けて欲しいんやろ?(長男、頷く)でもね、あんたの頭の中の思考を、スイッチを止めるみたいにぱちっと止めることは、お母さんにはできん。誰にもできん。それは、あんたが自分でやるしかない。そこをやめないと、何回も言うけど、ずっと苦しいまんまやで?」「助けてあげたいよ。いますぐにラクにしてあげたい。それか、タイムマシーンがあるなら、苦しかった出来事を、ひとつひとつ、それが起こらないようにしてあげたい。でも、できひんやろ?申し訳ないけれど、お母さんにはそんな、魔法みたいな力はない。あんたを助けてあげられる、いますぐラクにしてあげられる、魔法の方法も言葉も、持ってない。それは、あんたがやるしかない」と、伝え続けました。

 

 

加えて、「思考を止めるのも、しんどい。でも、そのままもしんどい。どっちもしんどいなら、幸せになる可能性、ラクになる可能性の方を頑張るしかないんじゃない?お母さんは、そう思う。でも、どうしてもできない、いやだって言うなら、もう仕方がないと思うよ。あんたが選び」とも。

 

 

そすると、やっと2週間ほど前に、「わかった。自分を責めるのをやめてみる。できるかわからんけど」と言ってくれました。

 

 

 

そうして、その日から少しずつ、長男の表情が明るくなってきたように感じます。

 

 

相変わらず落ち込むことはあり、1日に1〜4時間くらい、ラインでやりとりしたり、話を聞いたりすることも続いています。

学校も、相変わらず早退の方が多い日々です。でも、少しずつ、わたしの言葉が入りやすくなってきたように感じています。

 

 

そしてついに今週には、「なんか僕、最近調子いいわ。ネガティブになってないわ」と言う言葉まで。

 

 

 

もちろん、今後も浮き沈みがあると思います。でも、大きな山をひとつ越えてくれたような、そんな気がしました。

 

 

 

結局は、自分のココロ

自分がうつ病になって痛感しましたが、結局どんなお薬も、民間療法も、自分が自分をいじめることをやめないと、本来の効果は発揮できません。

 

 

近年、DVの中に「精神的苦痛」が追加されたり、「モラハラ」という言葉が知られたりするようになりました。

 

 

人から責められ続けたり、ひどい言葉を浴びせかけられ続けたら、身体も心も病んでしまうのは、すでに周知の事実になっています。

 

 

人からですら、そうです。それが、自分からだと、どうでしょうか?

 

 

自分の場合、恐ろしいことに、24時間終わることなく、自分をいじめ続けることができてしまうんです。これは、病んでしまっても、回復が遅くなっても、まったくおかしくありません。

 

 

だから、ジャッジしないとか、自己肯定感をあげる、ということが大事だと言われているんだと思います。

 

 

不登校の子たちは、間違いなく自分を責めています。ただ、さきほどわたしが長男に言ったことを繰り返すと、他人の思考を、スイッチを止めるようにぱちっと止めることも、無理です。

 

 

それは結局、本人の力を信じて、本人に任せるしかない。

 

 

でも、多くの場合、信頼できる他人から受け入れられることで、少しずつ自分を責めなくてもいいんだなということを、実感してもらうことはできます。次男はまさに、典型的なその回復パターンを辿りました。

 

 

今回長男は、おそらく本人の特性もあり、共依存に進んでいるように思ったので、あえて線を引く対応をしてみましたが、これもまだ、うまくいったかどうかは、わかりません。

 

 

でも、ラクになって欲しいこと、できれば幸せになって欲しいこと、その心からの声は、きっといつか伝わると信じながら、わたしも対応しています。

 

 

ドリカムの「何度でも」は、わたしが大事にしている応援歌です。10001回目はとっくに過ぎるくらい、同じことを何度も何度も繰り返し伝えた気もするけれど、長男の10001回目はきっとくると信じながら、伝え続けています。

 

 

時にはくじけそうになることも・・・・たくさんありますが。笑

それでもくじけずにいられるのは、わたしもブログが大きな支えになっています。なんだか長くなった上に、まとまりがなくなりましたが・・・。

 

 

いましんどい人へ。いつかきっと伝わると信じて、一緒に頑張っていきましょうね。

 

 

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