http://s.ameblo.jp/hikiyose358/entry-12126475768.html
そうだった。わたし数年前に“愛で生きたい”とぱっかんした時があって。
“わたしの人生は愛だったんだ!テーマは愛で生きていくー!”
と、強く思ったことをまたあらためて思い出しました♡
そしてkeikoさんのブログを読んでこれまた思い出したのですが、基本物を忘れがちなわたしは、お財布を落としたり鍵をおとしたりはよくしてました 笑
でも必ず親切な方が届けてくださっていて完全に紛失したことはありませんでした
(届けてくださった方ほんとにありがとうございます)
たしかに気が緩んでいるのもわかるのですが、どこかで紛失したものが戻ってくれる。という遊び?のようでもあり人の優しさに触れることをやっていたような気もするのですよ
そしてkeikoさんのお財布を拾ってくれた方からのメッセージ
“目の前にある大切なものにちゃんと気づかないといけないよ。”
あ~、そういうことだったのかぁ。
と、今更妙に納得してしまいました。
わたしは無くすことを経験してこころから湧き出てきてはじめて納得したいんだなーと
ほんとはこうやって宇宙からのメッセージをもらってるのに敢えて体験したいというめんどくさい一面もあるんだと気づきました 笑
大切なもの、いつも当たり前にあるものって当たり前すぎて当たり前になりますね
感謝って湧き出てきてはじめて感謝になると思うのです
要求するものでもないし要求されるものでもない☆要求する人ってかなり枯渇しているんじゃないかと思いました
そしてわたし自身が荒んでいたり心の余裕がないと感謝どころではなくなるのじゃないかな
でもその荒んだ隙間に人の愛を受け取れたときに感謝ってはじめて溢れるし、でももうそこまで体験しなくとも自分自身を愛しんでいれば愛が溢れるものかもしれない
だってわたしが幸せだと余裕あるし分けても擦り減る気がしないし
当たり前にあるもの、お金もそうかもしれない、親、子ども、パートナー、ペット、家、水、食料、etc
思いつくだけでもたくさんあるけど↑これって結果ですよね⁇
わたしの中にあるものが現実化するのだとしたら目の前に現れたことはわたしが思い続ける幻
もし今自分の観える世界が寂しくて悲しいならもっともっと自分を大切にあつかってほしいということだし自分を愛しんで愛しんで自分に集中できたぶんだけ現実が豊かなものになるのではないかな
あーそういうことかぁ 笑
自分がこんなにも幸せになりたいのにーってダダをこねても自分をどう取り扱ったかどういう設定をしたかが観える世界にいるからある意味もう嘘がつけないということですね(怖っ)
話はいろいろそれてしまいましたが 笑
今朝はkeikoさんのブログをよんで忘れてた気持ちを思い出すことができたしますます“自分を愛しむ”ことに集中しようと思いました
パパいつもありがとう