静岡県三島市の遊廓赤線其乃參 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

三島市誌を筆頭に幾つかの資料を紐解いてみたのですが、それらには遊廓時代までの歴史は比較的詳細に記されておりましたが、それ以降、つまり赤線時代に関する情報は一切掲載されておりませんでした。




敗戦を待たずして、遊里としての使命を終えた三島遊廓(三島中島遊廓、三島新地)でありますが、戦後の三島の夜に艶を添えたプレイタウンは何処だったのでしょうか?廓歩きの諸先輩方によるウェブ情報を手掛かりにすると、「六反田」と呼ばれる箇所が遊里エリアだった様子。




また「全国女性街ガイド」三島の頁には、「駅近くの警察署裏の芝町に五、六軒。駅から西へ六分の新開地<六反田>に六軒あるのをはじめ、市内に約三十軒、百五十名の散娼赤線が待機している」とあります。







昭和三十二年の住宅地図を確認してみましょう。複写を更に複写したものであり、非常に確認し辛くて恐縮であります。「六反田」と言う地名を追って行きましたところ、○印に「料」と表記された屋号が集中する気になる一画を発見。この辺りが嘗ての特飲だったと推測します。





「六反田」、現在は完全に住宅地へと変貌を遂げているのですが、往年の名残でしょうか、ビジネス旅館が営業しておりました。因みにこの界隈が住宅地となったのは意外と早く、昭和四十年代の住宅地図を確認してみると、上記の○印に「料」と記された店舗は既に廃業しておりました。










少し歩いたところにある商店街にも良い塩梅の旅館が。現在は営業していないのでしょうか。





廃業した銭湯の「桜湯」。琉球地方でよくみかける南国チックな装飾ですね。昭和三十二年の地図にもしっかりと「桜湯」は記されておりました。





「ゼロバンチ」「バンガイチ」等と称されている渋過ぎる飲み屋街も。人が一人通るのがやっとな程の幅員。商店街と少し外れた場所且つ駅からも離れたような目立たぬ隠れ家的な飲み屋街であります。





上記の飲み屋街全景。昭和三十二年の地図を確認してみると此方も例の○印に料の表記が。









・・・・・・・猶、他にも地図上に「特殊喫茶」と記された箇所も。諸般の事情から地図、写真共にウェブへは非公開とす。