静岡県三島市の遊廓赤線其乃壹 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。


農兵節

富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエ
富士のサイサイ 白雪朝日でとける
とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ
とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ


三島女郎衆はノーエ 三島女郎衆はノーエ
三島サイサイ 女郎衆は御化粧が長い
御化粧ながけりゃノーエ 御化粧ながけりゃノーエ
御化粧サイサイ ながけりゃ御客がおこる


御客おこればノーエ 御客おこればノーエ
御客サイサイ おこれば石の地蔵さん
石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ
石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い


頭丸けりゃノーエ 頭丸けりゃノーエ
頭サイサイ 丸けりゃからすが止まる
からす止まればノーエ からす止まればノーエ
からすサイサイ 止まれば娘島田
娘島田はノーエ 娘島田はノーエ
娘サイサイ 島田は情けでとける









・・・・・・・東海道三島宿、静岡県三島市を訪問す。









嘗ては三島宿の宿屋の八十パーセントが飯盛女(売春婦)を抱えた飯盛旅籠だったと言うデータも残されているほど。冒頭に記した三島の地唄「農兵節」にも登場する「三島女郎衆」。旧東海道沿いにはなんと地元企業が設えた看板に三島女郎衆の文字が。









三島は芸妓を売りにしていた土地柄であり、花街としての一面も持っていた様子。昭和四十年の住宅明細地図には「三島芸妓組合」の所在がしっかり記載されていますね。尤も芸妓遊びは昭和四十年代に入り、芸妓の数が激減。徐々に廃れて行った模様。どうやら当局の取り締まりが原因のようであります。




嘗て芸妓組合があった付近。






「芸者遊びに変わってバッチリお相手してくれるバーのホステス」とは三島を紹介する昭和四十年代の風俗雑誌ヨリ。記事にある「三島本町付近のおピンク地帯」とキャプションが添えられた写真には、おや?写真右上に「トルコ」と確認出来ますね。折角だから調べてみましょう。





件の風俗誌と同時代の住宅地図を紐解くと「国際トルコセンター」の記載が。





「三島本町付近のおピンク地帯」の写真と同一箇所と思しき付近を撮影。現在も飲み屋街ではあるものの全く面影はありませんね。すっかり寂れております。





「国際トルコセンター」跡地であります。






ピンクサロン、キャバクラなどが連なる本町付近。現在はこの付近が夜のメインストリートなのでしょうか。やはり寂れた印象は否めませんね。





少し進んだ先にある駿豆線の線路沿いからも拝める三島の特殊浴場「ヘルス銀座」。ある意味で三島のランドマークであります。特殊浴場の屋号に「ヘルス」と付けるのは静岡仕様。








扨、三島の遊廓赤線事情であります。三島女郎衆の時代から赤線時代にかけて遊廓の移転を何遍も繰り返していたようであり、街の彼方此方に自由恋愛、性の解放区的様相を呈していた模様。






「昔の遊廓跡で広小路、本陣跡裏の一帯で飲食街。小路が昔乍らの通りになっている」とあるのは「八木富美夫著 静岡県の赤線を歩く」ヨリ。



上記写真の八木氏とほぼ同じ位置から撮影。








次回から三島の遊廓赤線事情を少し掘り下げて記事にして行きますよ。