元は昭和初期の帝都銀座で発生した、と言われているステッキガール。時を経て何故か昭和三十年代の浜松市に於いて堂々たる復活を遂げました。小澤昭一氏によると赤線廃止前年から浜松市内で誕生した、としています。今風に言えば、ステッキガールは派遣型コンパニオン。業者へ電話を入れると、浜松市内の飲み屋や貸席、或は「旧赤線街の旅館」などへ女性を派遣してくれるシステム。
ステッキガール派遣業者は売春を禁止していたようでありますが、それはアリバイ的なもので実際は「自由恋愛」であり、売春の温床となっていた様子。参考サイト→週刊 浜松おもしろのおと「検番とステッキガール」
前回触れた「週刊静岡(昭和三十三年三月四週号)」の旧赤線特集記事には、ステッキガールについて以下のように触れています。
或る男性は「女が余つている時にワザワザ一時間二百円も払つて、芸のない女を呼ぶ必要もない、二百円は序幕だよ」とイミシンな言葉をのべた。だから一昨年の春頃誕生した「何々会」「何々クラブ」と呼ぶコールガール(ステツキガール)のクラブが続々と生れ、物凄い盛況振りである。新聞広告には毎度「美しき近代女性を求む」の求人広告で募集に募集を重ねている。
・・・・・・・記事に綴られているような「何々会」「何々クラブ」と言うステッキガール業者広告、そして「美しき近代女性を求む」の求人広告を昭和三十二~三十三年の紙媒体から探し出してみました。昭和三十年代の浜松ステッキガール事情を窺い知るのと同時に、これらが発する独特な淫靡さ、更には胡散臭さをも愉しんで頂きたいと思います。
浜松市内に八十軒余存在したと言われるステッキガール業者。「是非当会を」とあるところに業者間の競争の厳しさを窺えます。
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遊び心のある凝ったデザイン。
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求人広告も兼ねているタイプ。
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上記と同じく「桑名会」。寺島町と砂山町に事務所を構えていたようです。電話番号は「クロウシナイ」。
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雑誌に掲載された暑中見舞い広告ヨリ。電話番号に「イコウミンナ」と当てた業者も。
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この電話番号で果たして需要があったのでしょうか、しかし無茶な要求をする客に対する暗黙の抑止力にはなったと思われます。ヤマハの御膝元たる元浜町ヨリ。
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短い広告文ですが、ストレートに訴えかけております。
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旅館があった砂山町に事務所を構える業者を幾つか確認出来ました。ここも女性会員を同時に募集しているタイプ。
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「麗人揃い」と言うフレーズの広告も幾つか確認出来ました。
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浜松ステッキガール・・・・・・、まるで赤線廃止を予見していたかのように売防法後の浜松に狂い咲きした興味深い風俗であります。
長くなりました。続きは次回の講釈にて。