浜松遠州鉄道八幡駅界隈其乃壹 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

鴨江二葉園以外の浜松色街を求め、引き続きエロスタウン浜松の「遺跡」を探してみる。









先ずは売春博士たる「中村三郎」氏の「実態調査全国赤線青線地区総覧」ヨリ。浜松の遊里を紹介する次の一文が。「浜松はむかしの鴨江観音の桜里とは風趣を異にするが、家康が遊んだ二葉はいまも二葉園として二十軒ほどありまして、助信町の浜松遊園の三十二軒とともに情緒豊かに客を送り迎えしています」・・・・・と。






また、浜松を訪ねた記録を八年前にブログ上へ載せている方(名古屋発 レトロを訪ねて2)の記事によると、浜松市内に於ける鴨江旅館街(二葉園)以外の赤線として、助信町にあった「一穂」「曳馬屋」の名を上げています。







キーワードは「助信町」ですね。昭和の住宅地図を紐解き遊里の痕跡を探す作業に着手。遠州鉄道の「助信駅」を中心に「助信町」を隈なくチェック。助信駅周辺の地図にはそれらしき痕跡は見当たらず。地図上にて同じく遠州鉄道の「八幡駅」付近まで俯瞰。







早速、遠鉄と並行して走る電車通りに面した箇所に「特殊喫茶末広」を発見。昭和三十四年度版浜松市内住宅地図ヨリ。




「特殊喫茶末広」があった一画、現在の姿。面影は見当たりません。






続けて先のブログにある「一穂」と「曳馬屋」を発見。




右が嘗ての「曳馬屋」。




真新しい住宅が建っております。そこには灯籠が飾られていました。




旧「曳馬屋」を裏側から。




「一穂」のあった付近。







なんと、この「曳馬屋」と「一穂」は日本楽器製造株式会社こと現在のヤマハ株式会社本社と隣接しているのですよ。しかし当時の地図上からもヤマハの土地の広大さが窺えます。嘗てはピアノやオルガンを搬送する為の路線が敷地内に通っていたとか。







では中村三郎氏の言う三十二軒を誇った「浜松遊園」は何処にあったのでしょうか?






再び昭和三十四年度の地図を確認。「芸妓置屋」「料理屋」などの記載が目立つ歓楽街要素漂う気になる箇所を発見。中村氏の言う助信町とは異なる町名でありますが、この辺りが「浜松遊園」か?





この付近、やはりヤマハ本社と隣接しております。嘗てこの界隈で浩然の気を養われたヤマハ社員諸君も多かったろうと拝察。





遠州鉄道八幡駅。小さな無人駅です。





遠鉄と並行する電車通り。





駅前には広大な敷地に堂々たるビルディングを構えるヤマハ本社。






見よ!澄み切った青空の下に燦然と輝く「YAMAHA」のロゴに音叉マーク。「浜松遊園」の資料や情報が中々集まらないのは、世界の「YAMAHA」から何らかの見えざる圧力が掛けられている故なのでせうか、呵々。





ヤマハ本社横にはYAMAHAビルディングに負けじと我此処にアリと言わんばかりに佇むラブホテルの雄姿。










続きは次回の講釈で・・・・・・。