光廼家(岐阜県 金津園) | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

約一年ぶりに金津園を訪問。言わずと知れた東海地方トップクラスの特殊浴場街(ソープ街)。今回は、ももじゃむ女史と共に。前回の金津園記事はコチラ、ご興味のある方はどうぞ。








岐阜駅前から金津園を望む。駅前から我が眼前に広がる光景が全て特殊浴場助兵衛建築。壮観であります。規模から言うと東京吉原に次ぎ、全国第二位。





金津園には六十余軒の特殊浴場店舗が連なっているそう。加納水野町の交差点から金津園の廓内へ入って行きませう。金津園を散策する前に先ず腹ごしらえをば。予てより我々がチェックしていた「光廼家」へ。





加納水野町の交差点から金津園に入り、三本目の小路を右折。




喫茶店が並ぶ一画に「光廼家」はお店を構えております。金津園で遊ぶお客様、またこの地で働いている方への出前が主。







年末だから営業しているかな?と思いきや此処は東海の桃源郷金津園。心配ご無用大絶賛営業中でございました。暖簾をくぐりましょう。







「こんにちは!」







オヤジさん「いらっしゃいませ!おや?兄さんたちは・・・・・雑誌の人?(ももじゃむ女史のキャメラを見つめながら・・・・・)、へぇー!趣味で。昔の遊廓や赤線地帯に?面白い人たちだね。そう言えばこの前はテレビに街中のマンホールの蓋を撮影するのが趣味だって人が特集されてたよ。世の中本当に色んな趣味の人がいるもんだよ、うん」






「静岡から遠路遥遥ようこそ金津園へ。静岡は今が旬ですよね。富士山が世界遺産に登録されて。富士山の山頂にある浅間神社に参拝したのですよ。それから・・・・・浅間神社は(せんげんじんじゃ)って読むんですよね」






「あさま山荘事件のあさまかと?」






「そう!(あさま)かと。・・・・学生時代は学生運動が盛んだったよ。入試がボイコットになったりね。私はノンポリ学生だったけどね。昭和二十五年生まれ、あの時代のど真ん中。ウチの店は私が生まれた年に始めたのですよ。この辺りも進駐軍が来たのを薄っすら覚えてるしね、ギブミーチョコレートって」






「金津園は元々西柳ヶ瀬の遊廓がコッチへ移って来たのですよ。私が生まれた頃かな。紡績工場跡地の何も無いところだったですからね。最初、金津園一体は赤線地帯だったのですよ。子供の頃にね、正月にアチコチのウチの姐さんがお年玉をくれるのですよ。封筒開くと小さいお札が入っててね。オイラン道中をやってたのを見た記憶もあるよ。近くに姐さんたちを乗せるクルマが置いてあった。今思えば姐さんの営業も兼ねていたのだろうねぇ」





「赤線の頃はキミはアチラのウチへ、アナタはアソコのウチへ・・・・・・と、出前の縄張り的な物がちゃんと決まっていましたよ。だから他所から此処へ来て飯屋の商売始めようと思ってても厳しかったでしょうね・・・・・・・」





「赤線が廃止になって、赤線の業者さんはバーやカフェを最初は始めたようなのですが、商売が上手く行かなかったようですよ。東京でトルコが一気に火が点きましたでしょ。金津園はそこからですね。じゃあ我々も続けと。雄琴などはもう少し後だったと思います」






「赤線時代に姐さんさんたちや男の従業員、その人たちが通う美容院があってね。今は焼肉屋になってるかな。赤線時代からの建物は、金津園にはもう数える程しかないよ。ここを出て左に進んだ角にあるウチは、赤線時代の家を改装したものじゃないかな。金津園は坪数六十三と赤線の頃に決まってたそうだけど、そのウチは二倍位あったのじゃないかな。兄さん、月に何度も通ってそこの常連になりなさいよ。オーナーに頼めば赤線時代のお部屋を見せてくれるかもよ(笑)」







一同 大爆笑








オヤジさんの話に出てきた「赤線時代の家を改装したもの」と思われる店舗




オヤジさんより頂いた金津園マップ。




上記裏面。水野町(金津園)商店街一覧。







「手力園も面白いと思うよ。柳ヶ瀬立ち寄ってそれから時間があったらまわってみて下さいな」







光廼家様、美味しいお食事と貴重なお話をありがとうございました。





光廼家(みつのや)
岐阜県岐阜市加納水野町3-19
TEL: 058-271-6428










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本記事を以て平成二十五年の更新を終えます。乱筆乱文の拙ブログにも関わらず愛読して頂いた読者の皆様に感謝致します。良い新年をお迎え下さい。



花町太郎 拝