神奈川県横浜市戸塚区(旧戸塚遊廓)③ | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

前回、前々回に引き続き、東海道の旧宿場町戸塚にあった戸塚遊廓について。当ブログではこの地を便宜上「戸塚遊廓」として記事を進行して来ましたが、風呂屋の煙突様の記事に因ると、元々澤邊本陣付近(=戸塚消防署付近)にあった遊廓が日露戦争の頃に「新地」に引越しを行った、とあります。









戸塚の郷土資料を探し、頁を捲ったところ東海道の旅籠で遊女的な存在だった「飯盛女(めしもりおんな)」についてマクロ的に触れてはいるものの、戸塚遊廓に限定した記述は見付からず。
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下記の資料に因ると、飯盛女は「食売女」とも称された、とあります。飯盛女が市中に現れた正確な時期は不明とされていますが、売春は人類最古のビジネスと自嘲的に言われているゆえ、彼女等(或いは彼等)は相当古くから存在していたのでしょう。一時は飯盛女を宿屋に置くことをお上が厳しく禁じたものの、飯盛を置くことで宿場の繁盛に繋がる為に公許を願い出た実例が多かった、その結果として条件付で飯盛を置くことが許されたようです。飯盛女については次回記事に予定している「藤沢遊廓」でも触れて行きたいと思います。
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東海道から旧戸塚遊廓の廓内に入って右手にある浄土宗清源院を訪問。
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幕末の頃、戸塚遊廓の飯盛女ヤマ十六歳と戸塚の薬商大島屋亦三郎の息子清三郎十八歳が恋に落ち、禁じられた恋に悩んだ結果・・・・二人はこの寺の井戸に身を投げて心中を遂げました。下記写真は清源院敷地内にある二人を偲んだ句碑です。
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井にうかふ 番ひ(つがひ)の果や 秋の蝶   合掌
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旧戸塚遊廓のメインストリートを歩きます。
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飲み屋などがちらほらと。前記事に載せた昭和五十年代の地図と照らし合わせると、これらの店舗はそれほど古いものではなさそうです。遊廓時代の建物は震災や再開発で無くなってしまったのでしょう。気になるのは戦後赤線時代・・・・・この地はもう少し調べてみたいものです。
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「昭和レトロ空間ショップ」と言う電柱看板が。この界隈に店舗を構えているようです。この街の古(いにしえ)を窺い知れる展示物があったら非常に面白いですよね。
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廓内を抜け、少し歩いたところに鎮座されている小さなお社を参拝。

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