新潟県胎内市旧中条遊廓(新町遊廓)① | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

新潟県北部に位置する胎内市。今回は旧中条町にあった遊里、中条遊廓(新町遊廓)を散策致しましょう。








「胎内市」とはこれまたユニークな市名ですよね。界隈を流れる胎内川より名付けられた名称、とされています。2005年に北蒲原郡中条町と黒川村の合併によって出来たゆえ、市としての歴史はまだ浅いのです。気になる「胎内川」の由来ですが、アイヌ語で「清い川」を示す「テイ・ネイ」を語源とする、とはウィキ情報より。
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扨、先ずは現地へ赴く前に下調べを行わなければなりますまい。「中条遊廓(新町遊廓)」が胎内市の何処に存在していたかを特定する作業に着手・・・・。ウェブ上にヒントが載っておりました。胎内市の町興しを主として行っている胎内検定様のサイトであります。九月に胎内市で催される中条祭り・黒川祭りの歴史に関する記事に、「遊廓」に触れている記述を確認致しました。文面を引用してみましょう。





(以下引用)
この中条祭りの話を少しさせていただきますと、特徴は、古くからある台輪と山車です。台輪は、今から240年前頃会津から移り住んだ会津屋源八氏により台輪と神輿が寄進されたのが始まりだそうです。

その後、1862年に村上の名工山脇三作に氏によって作られたのが、現在の台輪。150年程の歴史があるんですね。この台輪には猩猩(しょうじょう)様という想像上の妖精が乗っています。台輪の猩猩様はお酒を振舞うという意味もあるそうです。

山車は明治中期頃から始まったといわれます。珍しいのが芸者が載っていること。この云われは、明治初期に今の新栄町に新町という町を作り、市内各所にあった遊郭を集めて花柳界にしました。新町には当時100人もの娼姑がいたと言われています。その人たちは年に一度しか新町から出られなかったそうです。一方、芸者さんたちはそのような制限はなく、自由だったので山車にまで乗り込んでPRをしたというのが、始まりだそうです。なじみ客へのあいさつ回りや新人芸者のお披露目も兼ねていたようですね。

芸者を山車に乗せ、手踊りをさせて町内を巡る祭りというのは、中条で生まれた私にとっては当たり前のように思っておりましたが全国的には大変珍しいようです。
(引用ここまで)




「中条祭り」の模様を撮影した動画を見付けました。暫しの間、綺麗なお姉様方の手踊りをご鑑賞下さいませ。






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拙ブログにて掲載致しました名古屋市中川区の「中川金魚祭り」、新潟県長岡市の「長岡大花火大会」も遊廓発祥のお祭りでした。遊廓を由来とする祭りは、全国的にまだまだ存在するのでしょうね。大変興味深いです。
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中条遊廓(新町遊廓)は現在の新栄町にあったことを先の町興しサイト様が教えてくれました。ではウェブ上の地図で新栄町の位置を調べてみましょう。嘗ての遊廓と思しき箇所へ赤線をマーキングをば。遊廓跡地セオリー通りの幅員の広がった道路。この場所で間違い無さそうです。おやおや・・・・・マーキングした地図を改めて眺めると、心なしか女性自身のような形をしております。
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続く。