今重旅館(旧長岡遊廓) いまじゅうりょかん | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

新潟県長岡市山田町(旧文治町)にある妓楼(貸座敷)からの転業旅館「今重旅館」へ宿泊しました。長岡遊廓については再度詳しく記事化しようと考えております。


この日、私は今重旅館へ宿泊する旨の電話連絡をして新潟市内で夕食を済ませる。所用で宿に到着するのはどうしても二十時過ぎになってしまうので、その前に腹ごしらえを済ませる必要があったのですね。宿で食事をするには二十時までにチェックインして欲しいとのこと・・・・。それならばと宿に着いたら部屋で晩酌することにしました。



新潟市内から長岡市内までは一時間余り。宿までは長岡駅から徒歩で十五分余り、新潟市内から車を使用するならインターを降り、長生橋を渡って直ぐに山田町へ左折。「旅館」の看板がある一角が出迎えてくれます。ここは旧長岡遊廓の廓内なのです。

信濃川に架かる長生橋は全国的に有名な長岡大花火大会の打ち上げ箇所付近ですね。この長岡大花火大会のHPに注目して頂きたいのです、お祭りの沿革に「遊郭関係者が資金を供出しあい、350発の花火を打ち上げる」と記されています。



「今重旅館」、長岡大花火大会を鑑賞するにはお誂え向きの旅館であります。今夏、長岡へ花火大会鑑賞の旅をとお考えの読者の皆様にオススメなのです。花火大会時期には満室になるそう。ご予約はお早めに・・・・・。






翌朝に撮影した「今重旅館」。長岡遊廓を散策した多くの方がこちらの旅館を撮影してブログなどに掲載されておりますね。ところで・・・・宿のご主人から伺ったのですが、昨年、遊廓好きな女性がこの界隈を撮影していたとのこと、その女性は巻き子女史なのでしょうか・・・・・。
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ちなみに「今重」は「いましげ」と読まず「いまじゅう」と読みます。これは初代の「今井重吉(いまいじゅうきち)氏」を縮めて「今重(いまじゅう)」と名付けられた屋号。
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玄関にはレトロな電話機が。昭和三十年代のもの。遊廓の遺構を求めて宿泊される方以外でも、電話機を珍しがって訪問される方も多いとか。
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笑顔のチャーミングな若女将さんに案内されてお部屋へ。先ずは晩酌をば。至福のひと時ですよ。
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長岡の夜は寒いのですが、布団はホカホカです。明朝、三代目ご主人にお話を伺うことになりました。
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翌朝、朝食を済ませた私は三代目ご主人から、今重楼時代、そして長岡遊廓の貴重なお話を伺いました。ご主人は昭和十二年生まれの七十六歳。大正時代の長岡遊廓を復元した地図を元に話を進めて頂きました。この地図は昭和五十八年に長岡遊廓の貸座敷関係者だった長谷川弥一郎氏に因って復元された地図とのこと。
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下記地図は現在の住宅地図より、今重旅館の箇所。旅館に面してる通りは、遊廓時代には二等地通りと呼ばれておりました。
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大正時代の長岡遊廓復元地図より。玉楼と記されている付近が現在の今重旅館。この界隈は昭和二十年八月一日の長岡空襲で深刻な被害を受け、一面焼け野原になりました。長岡遊廓の一等地通りに店を構えていた今重楼も被害を受け、終戦を迎えてから、玉楼のあった箇所に移って来たそう。
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一等地通りに、今重楼の屋号を確認出来ます。
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現在の住宅地図より。今重楼が嘗てあった箇所は、会社の駐車場になっていますね。
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左に見えるのが今重楼。大正時代の長岡遊廓一等地通り。ご主人はこの時代を知る世代ではないのですが、当時の一等地通りは相当華やかだったと聞かされたそう。
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今重旅館の屋根に積もった雪。遊廓時代から長岡の雪の量は変わっていない筈・・・・・。
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今重旅館様、この度は貴重なお話、そして資料を頂きありがとうございました。



今重旅館 

住所:新潟県長岡市山田3丁目1-3‎

電話番号:0258-32-1277