先般お伝えしました通り、都内の遊里跡地に関しては当方の薀蓄を抜きにして写真をランダムに掲載致します。そして新潟の遊里跡地、明治大正期に於ける新潟県長岡市の悪趣味雑誌「おもしろ誌」、これらの記事も同時進行で進めると言う荒技を当ブログで展開しようと目論んでおります。正直な話、ブログネタは腐る程あるのです。千鳥足で進行したら下手すりゃ半年程かかりそうなのです。これに加えて新たに何処かへお散歩を敢行したらアッと言う間に一年が風と共に過ぎ去ります。
都内の遊里跡地、我がホームタウン新潟に比べて、数多くの情報がウェブ上に溢れていますゆえに、今更当方が構成と成り立ち等々を述べる必要は無いとの判断であります。鳩の街については東京DEEP案内様のサイトに詳細なレポートが掲載されております。参考にして下さいませ・・・・。と、言いつつも吉原は薀蓄をダラダラとしたためてしまいましたが・・・・・。
扨、能書きは終いにして先ずは第一弾をば。
昭和二十四年、今から六十四年前の鳩の街写真。豆タイルの円柱に注目。
※出典:広岡敬一著 昭和色街美人帖
六十四年後、平成二十五年に撮影。上記写真と見比べて頂きたい。
カフェー建築に強い関心を覚えたのは、ウェブ上でこの建物を見たのが切っ掛けでした。
記憶が正しければ、東京DEEP案内様のサイトが発端ですね。
我がホームタウン新潟に、この手の赤線建築を目を皿のようにして探し求めたのを良く覚えています。関東地方某地方都市住みだった私の少年時代、実はかなり身近なところに赤線街は存在していたのですが・・・・。独りでデジカメ片手に赤線街をほっつき歩き始めたのは三十五歳越えてからですよ。
興味を惹く赤線建築と出会うと「おっ!ナイスですね」なんて独りで呟いてしまうのですが、我ながら不審極まりないですよ。この日も「同志」らしき男性がカメラを片手に歩いていました。お互いに「あれ?キミもかい?」なんてアイコンタクトを交わすのですね。微妙な空気、直ぐにこの場から立ち去りたい空気。でも振り返りたいような不思議な心持ち。実際に振り返るとヤツも同じように振り返っていた・・・・・。
鳩の街のハルミ嬢。東京で一番の名器の持ち主と呼ばれていた。昭和二十四年撮影。
※出典:広岡敬一著 昭和色街美人帖