新潟十四番町遊廓水田楼について | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

先般記事に致しました写真集「赤線奇譚 木村聡著」の二頁目には、艶っぽい弁柄色の格子窓と煤けたタイルのアップ写真が載っています。写真集のインデックスには「新潟十四番町 1998,10 旧遊廓、十四番町までは古町の盛り場から歩いて約20分」とキャプションが添えられています。



この妓楼は私が当ブログを始めたばかりの頃に、少しお話をした水田楼であります。その記事はコチラへどうぞ




水田楼、2000年(平成12年)の12月に惜しくも取り壊されてしまいました。この当時、私は新潟住人ではなかったのですが、一度この目で「水田楼」を拝みたかった!故に「赤線奇譚」は永久保存版であります。この写真集に「水田楼」が載っていると言う前情報を仕入れてなかっただけに尚更感激なのです。







昭和32年の住宅地図にて確認してみましょう。まさに赤線時代真っ只中の新潟十四番町遊廓であります。メインストリートを赤線でマーキング。桃色でマークしたのが「水田楼」。緑色のマークは妓楼(貸座敷)やカフェーと思われる箇所。
※尚、当時妓楼(貸座敷)として使用されていたと思われる箇所でも、現在住居として使用されている苗字に該当する箇所はプライバシー保護の観点から画像処理致しました。
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本日早朝の旧十四番町遊廓。私を遊里探索へと誘って(いざなって)くれた母なる場所でもあります。眼前に広がる旧十四番町遊廓のメインストリートは、言うなれば私の遊廓探索癖を産み出した「産道」でありましょう。今は無き旧大門を想像しながら「虎穴に入らずんば虎子を得ず」なる格言を思い浮かべてみました。はてさて・・・・・私はこの趣味から「虎子」を得る事が出来るのでありましょうか?
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入船地蔵尊より旧メインストリートを望む。「水田楼」は向かって左手にあったそうな。
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新潟出身のイラストレーターの方が描いた昭和赤線時代の新潟十四番町遊廓のイメージ図。上記、現在の写真と見比べて頂きたい。嘗ては「不夜城」の異名を以て語られた新潟十四番町遊廓。現在の住宅街と化した姿からは到底信じられません。夢か幻のようです・・・・・。このイラスト、良いなぁ。
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「赤線奇譚 木村聡著」を読み、「水田楼」について調べたところ、なんと!「水田楼解体」を特集した新聞記事が存在した事が分かりました。「新潟日報2000年(平成12年)12月28日号夕刊」であります。早速、この新聞記事を入手致しました。新聞の一面にこうした遊廓の記事が載るのは凄いことですよ。
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新潟遊廓最後の灯火を記事にした新潟日報の新聞記者氏に敬意を込め、くだんの記事を下記に全文記させて頂きます。




「新潟遊郭の名残水田楼解体」新潟日報2000年(平成12年)12月28日号夕刊


 今月半ば、新潟市の本町十四番町のある建物が、間もなく幕を閉じる二〇世紀に合わせるように姿を消した。
 取り壊されたのは、朱色の格子が往時の新潟遊郭をしのばせると、散策スポットの一つだった旧貸座敷の「水田楼」。
 水田楼は一九五八(昭和三十三)年の売春防止法施行による廃業後は貸間業をしていたが、九七(平成九)年に所有者が引っ越し、空き家になった。「建物内にハトが巣を作ったりした上、強風で外壁が飛んで危険なので壊さざるを得ませんでした」と、関係者は話す。
 水田楼の創業は定かではないが、新潟の花街史を研究している新潟市の藤村誠さん(七五)は「明治三十年代ごろ、今から百年くらい前ではないか」と推測する。以来、廃業するまで新潟の繁栄を「苦界」で支えてきた女性たちを見続けてきた。
 全国的に有名だった新潟遊郭には最盛期の一九一三(大正二)年には、百軒もの水田楼のような貸座敷があった。
 昭和初期の様子を知る野口松一さん(九二)=本町通十四=は「夕方になると呼び込み太鼓が響き、赤や青の灯火や当時は珍しいイルミネーションが輝いていた」とにぎやかだったころを振り返る。
 解体中に建物内を見た市内の男性は「階段や擬宝珠(ぎぼし)が朱色に塗られ、遊郭の名残を感じた。残せなかったものでしょうか」と解体を残念がる。
 新潟市歴史文化課によると、八七年に水田楼を調査した際は、周囲にはまだ遊郭の面影を残す建物が多く「五九年の火災で建物中央が焼け、改築されて当時の面影を残すのは全面だけ。また遊郭という性格上、保存までは話が進まなかったようだ」という。
 藤村さんは「北洋漁業など、港の繁栄と密接な関係だった新潟遊郭最後の名残でした」と、寂しがっていた。









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現在の「水田楼」跡。真新しい家が建っている。
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旧水田楼前の歩道より。古びた石階段はそのまま残っていた。この階段を行き来し「登楼」した客は数知れずであろう・・・・・。
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