引き続き、佐渡島の遊郭跡地を訪問。
両津の港からバスに乗り相川町へ。旧水金町遊郭を訪れるのが目的です。一時間程で相川町到着。意外と佐渡島は広いのですよ。相川町の観光案内所でレンタルサイクルを調達。この日、生まれて初めて電動式自転車に乗ったのですが、その機能性に驚きました。坂道も随分楽に登れるのですよ。
周知の通り佐渡島は金山の島。人が多く集まる場所には当然遊郭も誕生します。西暦1717年(享保2年)に水金町遊郭誕生。
佐渡相川郷土史辞典に因れば、この土地では江戸時代初期から金銀のアマルガム製錬が行われ、水銀(みずかね)流しと呼ばれていた。この頃、新たな町造りが実施され、その際、山先町にあった遊女屋が移転してきた、とあります。
全国遊郭案内に因れば、貸座敷数八軒、娼妓二十四名と記録されており、年齢は十六歳から二十六歳、殆どが佐渡島の娘。
旧水金町遊郭にはこのような看板が建てられています。
現在の相川水金町。
中央に見える橋は遊郭時代の名残。
相川水金町の町並み。
旅館たまや。妓楼時代の屋号を使用していた転業旅館。
残念ながら廃業してしまったようです。
お社が鎮座されておりました。
妓楼跡・・・?詳細不明の廃屋。相当古そうな建物です。遊郭が華やいでいた頃から建っていたのでしょう。
廃屋や自然倒壊してしまった建物が何軒かありました。
旧水金町遊郭と隣接する日蓮宗本興寺。奇しくも私がこのお寺を訪れた日は、お釈迦様のお誕生日。
旧水金遊郭「松木屋」の遊女柳川(二十歳)と佐渡奉行所の地役人高野忠左衛門の下男寅吉(二十四歳)が心中を遂げたのが、本興寺の墓地内。彼らの命日が刻まれている情死之墓。何人か合祀されているかも知れないお墓だと、お寺の方は話していました。遊女の心中、多かったのでしょう。合掌。
「遊び女の名は柳川と
好いた同志の色情欲に
せまりせまりて相対死をも
なせし二人のその濫觴を
(略)
売られ廓へ七つの齢に
親を救いの憂き奉公も
町は水金松木屋とて
(略)
齢は十八の葉月のなかば
新造突き出し名は柳川と
眉目も容(かたち)も妙なる出立ち
(略)
われもわれもと群れ来るなかに
文武両道兼ねたる人と
高きその名も千里にひびき
宵の変名(かえな)を於菟吉(おときち)さんと
一夜二夜の仮寝の床に
かわす枕の数重なれば
ついにわりなき契りをむすび」