持倉鉱山其の壹 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

新潟県東蒲原郡阿賀町津川にあります新潟の写真家、山口冬人氏のギャラリー古民家奥阿賀ギャラリー喫茶とんぼへ。山口冬人氏のブログ→http://yamaguchifuyuto.blog.so-net.ne.jp/









明治時代からの古民家を使用したギャラリーです。
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山口冬人氏によって撮影された写真を鑑賞しながら軽食も楽しめるアットホームなギャラリーです。山口氏ご自身とご家族により営まれております。
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私が山口冬人氏を知ったのは、個人的に愛してやまない新潟の秘境持倉鉱山についてネット上で調べ物をしていた際です。持倉鉱山にて検索をかけると、かの鉱山を探索し写真に収めた山口氏の個展がヒットしました。しかしながらその個展は本年十月初旬に終わっておりました。持倉鉱山に特別な思い入れのある私は失礼を承知ながら山口氏のギャラリーへ電話をかけました。



電話口に出た山口氏ご自身とお互いに初対面であるのにも関わらず持倉鉱山のキーワードでついつい長電話をしてしまったのであります。「個展は終了しましたが、ギャラリーへ足を運んで下されば持倉鉱山の写真をお見せしますよ」、と山口氏のご厚意を受け、先日ギャラリーへ。



残念ながら山口氏とお会いは出来なかったのですが、山口氏の奥様と持倉鉱山について語らいました。ネット上で持倉鉱山について様々な情報が交わされております。実際に持倉鉱山の話を口に出して話すのは初めての経験です。私自身、少しばかり興奮してしまいました。山口氏の持倉鉱山写真は上記に載せたブログによりご覧になれます。




持倉鉱山は昭和三十八年に閉山した新潟の鉱山跡地。明治時代に小出と言う人物により開発され、大正八年五十島鉱業(三井金属鉱業)により銅の採取を目的に創操業。現在は大正時代からそのままの姿で佇むカラミレンガを使用した精錬所跡が山奥にひっそりと残っています。自然に返りつつある精錬所跡が実に美しいのです。







持倉鑛山製煉所


明治卅九年現鑛業人ノ所有スル處トナリ爾來探鑛ノ結果鑛脈擴大ニシテ稀有ノ良山ナルヲ確メ交通運輸ニ 便スルタメ數千金ヲ投シ五十島及び製煉塲間一里餘ニ亘ル道路ヲ修築シ車馬ノ來往ヲ自由ナラシムルト共 ニ着々事業ヲ擴張シ目下百五十馬力ノ電力ヲ發生シ探鑛採掘法ノ如キモダイヤモンド試錐機並ニライナー 八番型鑿岩機ヲ以テ工程ノ進捗ヲ計ル等専ラ機械力ヲ鷹用シ本山製煉間二十七町ニハバリジン式自動鐵索 ヲ以テ鑛石及物資ヲ運搬ス 製煉設備ハ水胴式溶鑛炉一基眞吹炉四座ヲ有シ 日々原鑛一萬貫匁ヲ處理シ 製銅年産額五十七萬斤アリ而シテ燃料トシテ原油等ノ液体ヲ使用セルハ斯界ニ特色ヲ有シ最モ誇トスル處 ナリト云フ









・・・・次回、私が今年の五月末に訪れた持倉鉱山の写真記事を登載致します。