先週のメッセージ
 

そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」  ヨハネの福音書8章31~32節

 

真理を知り、真理が自由にするとはどういうことでしょうか。正しさが示されると、それを実行できない自分の誤りも同時に示されることになり、常に行動が正しいか審判されるような窮屈さを、感じることにならないでしょうか。しかしある弁護士は、人間は何をしても自由で罰せられないとした場合、社会は略奪などが横行する荒廃した世界になるだろうと論じました。人間は残酷な本性を持ち、放任されると堕落してしまうのです。このような人間について聖書は

 

イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。
(ヨハネ8:34)

 

と語っています。主人に支配された奴隷には自由がないように、人間は生まれながら、罪に支配された罪の奴隷です。罪の奴隷は、死後に神のさばきを受けねばなりません。

しかし、私たち人間を愛してくださっている神は、私たちが罪から解放され、さばきに行くことの無いよう、私たちの身代わりに、御子イエス・キリストを十字架でさばき、救いの道を備えくださいました。

 

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14:6)

 

「わたしを通して」は、主イエスが自分の罪の裁きを身代わりに受けるために十字架に架かってくださり、死後3日目に復活された真の救い主であると信じることです。彼を信じる信仰によって与えられた永遠のいのちは、どんなことがあっても奪われません。これが真理です。永遠のいのちが与えられても私たちの肉体や、そこに宿る罪の性質が、劇的に変わることはないと、聖書は教えています。永遠のいのちを得るために、罪を取り払おうとする努力は無用です。主イエスを信じる信仰だけが救いの条件です。

真理が私たちを自由にするとは、主イエスの十字架と復活の御業のゆえに、罪や肉にある弱さが私たちを滅びに至らせることは決してなく、罪の問題から完全に解放されていることです。私たちは大胆に、罪から解放され、主イエスにある新しいいのちの中に生かされていることを自由に喜んで良いのです。主イエスによる素晴らしい恵みに感謝しましょう。