下記の記事は女性自身オンラインからの借用(コピー)です

小室佳代さんの元婚約者の暴露により始まった、眞子さま婚約を巡るトラブル報道は、ますます過熱する一方だ。だが、当の圭さん、そして母・佳代さんは、沈黙を守り続けている。ただひとつ言えることは、佳代さんは、夫が自死したあと、母ひとり子ひとりで、なりふりかまわず“幸せ”をつかみ取ろうとしてきたに違いないことだ。
だが、そのためにおこなってきたこと、彼女の半生を追い、見えてきたものとは――。
暮れも押し迫った昨年12月18日午後6時4分。私鉄駅近くの老舗洋菓子店の店舗に、白衣に身を包んだ中年女性の姿があった。
白衣は洋菓子製造の仕事着だろう。秋篠宮眞子さまとの結婚問題が取り沙汰される小室圭さんの母・佳代さんだ。
それから約10分後、着替えを済ませた佳代さんは、茶色のダウンコートを着込んで、20代と思しき同僚女性とともに店を後にした。
2人は最寄り駅から下りの普通列車に乗り込み、混み合った車内に並んで立った。離れて立っていた本誌記者の耳にも、ときおり会話の内容が漏れ聞こえてくる。同僚女性の相談事に、佳代さんは、ニコニコとほほ笑みながらうなずいて、聞き役に徹している。職場内での人間関係はよさそうだ。
──眞子さまと圭さんの結納に当たる納采の儀が延期になったのは、18年2月6日のことだった。
それからまもなく3年になる。
昨年11月13日、宮内庁は、眞子さまの結婚に関する「お気持ち」を文書で公表した。
そのなかで、眞子さまは、
「私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」
と、お二人の気持ちが揺るぎないことを率直に表明された。
それを受け、父・秋篠宮さまも11月20日、お誕生日に際しての会見で、記者の質問に対して、結婚を認めるご発言をされている。
「結婚することを認めるということです。これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」
慎重で複雑な親心が垣間見えるご発言だが、眞子さまのご結婚はこれで一歩、前に進んだ。この会見の直後、ご結婚延期の最大の要因だった佳代さんの金銭トラブル問題にも進展があった。
佳代さんに約400万円の返金を求めていたX氏の独占告白を、『週刊現代』(12月5日号)が掲載。
「眞子さまにお伝えします。もうおカネ400万円は要りません」
眞子さまのお気持ちの文書を読んだX氏は、翻意の理由を、
「いつまでも二人の結婚の障害になってはならないと思った」
と、話している。
X氏は、それまで400万円は圭さんの学費と主張してきたが、本誌は「学費には使っていない」という圭さんの代理人・上芝直史弁護士の言葉をスクープ(12月15日号)。国際基督教大学(ICU)への入学金と1学期の授業料は、圭さん自身の貯金から支払い、以降の学費は奨学金で賄ったことを明らかにした。圭さんの学費にX氏が関わっていないのなら、借金問題は単に佳代さんとX氏の間の問題ということになる。
このままいけば、眞子さまの義母となり、天皇家の縁戚となる佳代さん。その人物像はやはり気になる。小室佳代さんとはどんな女性なのだろう。
佳代さんの旧姓は角田。小室敏勝さんと結婚したのは23歳のときだった。1歳年上の敏勝さんは明治大学工学部卒。横浜市役所に勤務し、市内に購入したマンションで家族3人、幸せに暮らしていた。
圭さんが3歳のときからバイオリン教室に通わせていたという。敏勝さんは幼稚園の保護者会や参観日には必ず出席するほど子煩悩な人だったが、佳代さんも、敏勝さんに負けず劣らず、教育熱心な母親だった。
「この子はバイオリンの天才なの」が口癖で、圭さんは私立の国立音大附属小学校に入学している。
そんな小室家の生活は、02年、敏勝さんの自死で一変する。
圭さんは当時10歳。以後、専業主婦だった佳代さんは、福祉事務所のカフェや地元のケーキ店などで働き、女手ひとつで息子を育てたが、圭さんの教育水準だけは落とさなかった。音大附属小学校はそのまま通わせ、中学からは、高校まで一貫教育のカナディアン・インターナショナルスクールに入学させた。学費は年間約200万~300万円(当時)。
そもそも海外生活経験もなく、日本の小学校で学んだ子どもが、インターナショナルスクールに入るのは並み大抵のことではない。授業はすべて英語で行われるため、圭さんは小学校卒業から9月の入学まで、英語の強化クラスに入り、サマースクールに通い、さらには家庭教師をつけて特訓し、ようやく入学を果たしたという。
圭さんと同時期に、インターナショナルスクールに在籍していた生徒の親はこう話す。
「入学当初の圭くんは、ほとんど英語はできていなかった印象です。お母さまが本人以上に熱心でしたね。入学までは必死だったと思います。わずか半年である程度の英語力を身につけさせようとする熱量には、すさまじいものがありました。英語ができないお母さまは、事務の日本人のスタッフを通訳にして、各担当教科の先生に質問したり、勉強方法などを相談していたみたいですから」
入学後も家庭教師をつけるなど、学費以外の出費は多い。
「お誕生日会とかが、けっこう大変なんです。外資系企業や大使館の子のお誕生日にお呼ばれすると、お土産もどっさり持たされますから、それなりにプレゼント代も必要なんです」
佳代さんは真っ赤なアウディを乗り回して、圭さんを送り迎えしていたという。パートの収入と夫の遺族年金で、月収は20万円を超える程度と報じられたギリギリの生活の中で、圭さんをインターナショナルスクールに入学させたことは、世界の一流どころの家庭の子女が集う環境を、必死につかみ取ろうとした佳代さんの執念と見えが感じられる。
圭さんは、佳代さんの上昇志向の波に乗るかのように、横道にもそれず、まっすぐに育った。10年9月、ICUに入学した圭さんは、12年6月、大学の交換留学生説明会で、眞子さまと初めて親しく会話し、交際に発展。
プロポーズは13年12月。婚約内定会見は17年9月。緊張のなかでも恥ずかしそうに見つめ合い、記者の質問に答える初々しいカップルのご様子は、多くの人を魅了した。
この結婚がここまでもつれるなど、当時、誰も予想していなかったことだろう。
『週刊女性』(’17年12月26日号)の「400万円借金トラブル」報道が、大きな波紋を起こすまでは──。
佳代さんの借金を告発したX氏は、暴露の直前まで小室一家と同じマンションに住んでいた。
本誌が当時取材したとき、X氏は薄いストライプのスリーピース・スーツに身を包み、襟元にはちょうネクタイ、言葉遣いも丁寧で穏やかな男性だった。
「敏勝さんとは、マンションの管理組合の会合で話すようになりました。お互い理系だからウマが合って、今度、横浜で飲みましょうという約束もしていたのですが……。かなりたってから、敏勝さんが自殺したと聞き、本当に驚きました」
外資系企業に勤めていたX氏は、生活時間が違う佳代さんとは顔を合わせたことがなかったが、07年、共通の知人を介して知り合い、圭さんのパソコンの修理を頼まれたことなどから、親しくなったという(『週刊文春』18年2月1日号)。
X氏と佳代さんが、婚約したのは10年9月。圭さんがICUに入学したのとほぼ同時期だ。佳代さんは二人の財布を一緒にしようと持ちかけたこともあったという。
そのころから、佳代さんの金の無心が始まったと、X氏は主張する。その総額が約400万円だ。佳代さんの度重なる無心にへきえきしたX氏は12年9月、婚約解消を申し出て、1年後には、返済を求める書面を小室家に送っている。
一方、小室家側は「400万円は借金でなく、贈与だった」と主張。
進展のないまま4年以上経過するなか、X氏は眞子さまと圭さんの婚約を知り、公開に踏み切った。
「弁護士に相談しましたが、借用書がなければ裁判で勝つことは難しいと言われてしまいました。皇族をお嫁さんにしようとする人が、自分の学費を出してくれた人に対して、感謝の一言もないというのは、それでよいものでしょうか」
X氏は本誌の取材当時に、そう胸の内を明かしている。
この騒動で、18年3月4日に予定されていた納采の儀も、11月4日の帝国ホテルでの挙式も延期され、今日に至っている。
ここにきて「お二人の結婚の障害になってはならない」(前出)と、返金を求めない趣旨の発言をしたX氏だったが、その後、事態が急変。『週刊文春』(20年12月17日号)では、佳代さんからX氏に届いた無心メールの詳細が公開され『週刊現代』(20年12月12・19日号)では、佳代さんと圭さんが、13年秋に「400万円は譲渡だった」と記した手紙を携え、X氏の自宅を訪ねた際の録音テープを公開。借金問題は再燃し、いまや過熱の一途だ。
この事態を憂慮したのか、12月10日、西村泰彦宮内庁長官は定例記者会見で、小室家の金銭トラブルについて聞かれ、こう述べた。
「説明責任を果たすべき方が果たしていくことが極めて重要だ」
皇室の歴史に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんも、小室家に対して手厳しい。
「金銭トラブルの経緯について、国民への説明責任を果たすべきなのは、当然ながら小室家です。400万円が借金であれ、贈与であれ、元婚約者が金銭的援助をしてきたのが事実ならば、相手方に対し何の恩義も敬意も見せず、感謝や謝罪の念がないのは、一般的な社会通念からしても異常な感覚と言わねばなりません。
400万円が学費ではないというなら、何に使ったのでしょうか? 筋の通った説明をすべきです。現状のままでは、皇族と結婚する家としての社会的な信用は得られないでしょう」
小室家の金銭トラブルの発端をたどれば、やはり敏勝さんの自死に行き着く。敏勝さんの生前から、小室夫妻と一時的交流があったという元喫茶店経営者A氏は、今回の本誌の取材にこう語る。
「圭くんを連れて家族3人で、よく店に来てくれました。
旦那さんはおとなしくて優しいタイプ。反対に佳代さんは社交的で、よく喋る。メニューを見て、旦那さんに『何を食べる?』と、聞いておきながら、『○○でいいでしょ』と、どんどん決めちゃう感じでした。旦那さんはもの静かで、小さかった圭くんに、食べさせてあげたりしていましたね」
頻繁に顔を出していた一家が、しばらく姿を現さなくなったのは、圭さんが10歳のときだ。
「久しぶりに佳代さんが来たと思ったら『主人が死んじゃった。首つり自殺した』と、言うんですよ」 敏勝さんは精神的に弱っていて、しばらく藤沢の実家に帰っていたと聞いた。
「それを佳代さんが無理やり自宅に連れ帰ったような言い方でした。ある日の深夜、旦那さんが外に出ていったらしく、ガタンと音がしたそうです。佳代さんはそのまま眠ってしまい、目が覚めても旦那さんの姿が見えないので、圭くんを連れて捜したら、亡くなっていた現場に行き着いたそうです」
佳代さんはそう店主に説明していたが、敏勝さんの遺体を発見したのは、立川警察署という報道もある(『女性セブン』21年1月7・14日号)。
「それからは毎日のように閉店間際に圭くんを連れてきて『おじいちゃんも自殺しちゃった。圭くんにカウンセリングを受けさせたほうがいいのかしら』と、こぼしていました」
敏勝さんの死後まもなく、敏勝さんの父親も後を追うように自死していたのだ。
「佳代さんは、自分の父親の家に居候して、毎晩、狭い部屋で圭くんを抱きしめて寝ていると話していました。私たち夫婦は、突然、夫を亡くして、経済的にも大変だろうと、ご飯を食べさせ、もらい物を持たせたこともあります」
佳代さんが話し込むと、夜9時、10時になる。
「圭くんはおとなしく絵を描いたりしているのですが、そんな時間になると眠ってしまうから、車で送ってあげるんだけど、いつも小さなアパートの前で『ここがウチだから』と言われていたんです」
Aさんはそれを信じていたが、圭さんのご婚約内定報道で、小室家の自宅が聞かされていたアパートとは違うマンションであることを知ったという。
「当時はそんなことも知らないから、夫婦で同情していましたよ。旦那さんが、実家から連れ戻した後に亡くなったので、実家から『あなたが殺した』と、言われたと聞きました。『この子の(遺産相続の)権利はどうなるんだろう』と、悩んでいました」
実家との橋渡しを頼まれたAさんは、委任状を持たされ、敏勝さんの藤沢の実家を訪ねたという。
「旦那さんのお母さんにお会いすると、すごくいい人で、きついことも言いませんでした。佳代さんの気持ちを伝えると、『わかりました』と、一度で話が済んだんです」
しばらくして、佳代さんが1人の女性を連れて店にきた。
「霊媒師みたいな人で、女性は店に入った途端に店内の絵を見て、『ああ、この絵も、この絵のこともわかっていた』と、言うんです。奥の席から入口のほうを見て『圭くん、お父さんがこっちを見て笑っているよ』って。佳代さんは、心底、信じているようでした」
Aさん夫婦に違和感が芽生えた。その後、佳代さんは自分の父親らしき男性と一緒に店に来て、夫婦に封筒を差し出したという。
「それでいきなり『手を引いてくれ』と言うんです。何のことかと思いました。藤沢の実家からの援助の話がうまくいったということでしょうか?でも、こちらは親切で動いただけなのに『手を引け』という言い方は……。封筒に何が入っていたか知りませんが……」
親切をあだで返され、侮辱された思いがして、Aさんは封筒を受け取らず、帰ってもらったという。
「佳代さんとはそれっきりです。旦那さんの話をしながら、佳代さんは涙ひとつ見せなかったと思います。それに、圭くんの前で平気で自殺の話をする。こちらが心配すると『知っているから大丈夫です』と言うのですが……」
Aさんの話を聞く限り、佳代さんの話にはうそやごまかしが多いように思える。著書に『被害者のふりをせずにはいられない人』(青春出版社)などがある精神科医・片田珠美さんは佳代さんをこう分析した。
「400万円は学費に使っていないということですが、学費が必要と言って融通してもらったお金を、ほかの目的で使うほうがタチが悪いと思うのが普通です。ところが、彼女は『悪い』と思わないどころか『返さなくてもいい』と言えてしまう。自分に都合の悪い現実が見えなくなることを精神分析で『暗点化』と呼びますが、暗点化が起こりやすいタイプは、自己正当化の達人になりやすい。佳代さんは自己正当化の達人かもしれません」
小室家に吹く逆風のなか、いまも圭さんを擁護するのは、居酒屋「のん処」店主の五井憲治さん(74)だ。圭さんが高校のころにアルバイトをしたフランス料理店のオーナーシェフだった人である。
「みんな圭くん本人を知らないからね。僕のように知ってる人間は『いいコだよ』って言えるけど。圭くんは、お母さんに尽くしてもらってきたでしょ。だから、恩返しをしたいと、お父さんが亡くなったときから言ってたんだ。『僕がお母さんを守っていくんです』ってね。それ、聞いたときはジーンときて、目が潤みましたよ」
圭さんは21年5月、ロースクールを卒業予定だ。なりふりかまわず、“幸せ”をつかみ取ろうとしてきた佳代さん。いま、54歳の彼女が、早朝からおよそ半日近くも、立ちっぱなしの洋菓子製造の仕事をするのは、体力的にも厳しいはずだ。
そんな母を「守る」と言うのなら、さらには眞子さまの率直なお気持ちに応えるためにも、代理人に任せるのではなく、圭さん自身が母の金銭トラブルの経緯について真摯に説明するときがきているのではないだろうか。
最後に、やはり佳代さんの肉声を一言でも聞きたい。冒頭で述べたとおり、同僚と帰途に就いた佳代さんは、途中駅で1人下車して、駅直結のショッピングモールに入った。退店時から紙袋を持っていたが、ショッピングモールから出てきたときにはさらに大ぶりの紙袋が2つ加わっていた。
老舗菓子店の名前が見える。大量のお菓子を買い込んで、これからまたどこかに行くのだろうか。
3つの紙袋とハンドバッグを抱えるようにして改札口に向かう佳代さんに、声をかけた。
「小室さん、突然すみません……」
彼女の顔が一気にこわばるのが見て取れた。怒りとおびえがないまぜになったような感情が目元に浮かび、表情に険しさが増していく。
「秋篠宮さまがお二人の結婚を認めるご発言をされましたが、お母さまとして今、率直にどんなお気持ちでしょうか?」
しかし、佳代さんは進行方向の一点を凝視するかのように、前だけを向いて決して顔を動かさない。やや前のめりの姿勢のまま、ズンズンと歩みを進める。
「何もお話したくありませんか?」
記者には、そのとき彼女が小さくうなずいたようにも見えた。
「朝早くから、こんな遅くまで、お仕事ご苦労さまでした」
そうねぎらうと、いきなりピタッと足を止め、不意に記者のほうに向き直った。
そして、マスク越しにも“作り笑いですよ”と、ハッキリ伝わる不自然な笑みを記者に向け、絞り出すようにこう言った。
「ご苦労さまでございました」
こくりと頭を少し下げ、足早に改札を抜けると、佳代さんは帰宅ラッシュのホームへと姿を消した。
「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載