会津若松の鶴ヶ城に歴史を学ぶ | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

会津若松の鶴ヶ城に歴史を学ぶ

 



 

昨晩(8/9)東北旅行から帰宅しました。

今回の旅で最後に訪れたのが会津若松、

これまで一度も行ったことのないところです。

 

それほどたくさんの時間が無かったので、

鶴ヶ城の見学(2時間超)のみでしたが、

結構印象が深い展示に胸が痛くなる想いでした。

ご存知のように幕末から明治維新にかけての

戊辰戦争多くの方が無くなった場所です。

 



 

江戸城の無血開城で江戸の町は戦火に覆われることなく、

一見美談として語られている歴史の裏には、

その反動とも考えられる会津の街がたどった

痛々しい歴史があったことを実感できました。

 

戊辰戦争:

1868年(慶応41月の鳥羽・伏見の戦いから

1869年(明治25月の箱館戦争までの内戦

薩摩・長州・土佐藩を中核とする新政府軍と、

旧江戸幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国が戦った

日本近代史上最大の内戦と言われています。

 

1868年が干支 (えと)で戊辰 (つちのえたつ)にあたり、

この呼称がつけられたそうです。

 

会津戊辰戦争:

NHK大河ドラマ『八重の桜』で描かれた会津の地での戦い。

江戸の無血開城の後、新政府軍の標的は会津に向けられ、

1968822日旧幕府軍が猪苗代町の母成峠で敗退すると、

新政府軍は若松城下に攻め入り922日旧幕府軍が降伏するまで

激戦が続いたとされます。

 



 

有名なのが白虎隊:

会津藩が組織した、武家男子(1617歳)を集めた部隊のこと。
→ この他に玄武隊(50歳以上)、青龍隊(3649歳)、

朱雀隊(1835歳)などがありました。

名称は、中国の伝説の神獣「白虎」に由来そうです。

飯盛山での最後の自刃に関しては、飯沼貞吉によって

現在に語り繋がれたとされています。

 

政府軍は飯盛山で自害した白虎隊士の遺体に

手を触れる事を許さず、結果として約3ヶ月の間放置され、

その後付近の村人らによって飯盛山にある妙国寺に

密かに仮埋葬され、改葬が許されたのは明治2年(1872年)

なんとも悲しい結末に涙してしまいそうです。

 



 

実に貴重な歴史を知るに至り、

 平和であることのありがたみを

  再認識した次第です。