会津若松の鶴ヶ城に歴史を学ぶ
昨晩(8/9)東北旅行から帰宅しました。
今回の旅で最後に訪れたのが会津若松、
これまで一度も行ったことのないところです。
それほどたくさんの時間が無かったので、
鶴ヶ城の見学(2時間超)のみでしたが、
結構印象が深い展示に胸が痛くなる想いでした。
ご存知のように幕末から明治維新にかけての
江戸城の無血開城で江戸の町は戦火に覆われることなく、
一見美談として語られている歴史の裏には、
その反動とも考えられる会津の街がたどった
痛々しい歴史があったことを実感できました。
戊辰戦争:
1868年(慶応4)1月の鳥羽・伏見の戦いから
1869年(明治2)5月の箱館戦争までの内戦。
薩摩・長州・土佐藩を中核とする新政府軍と、
旧江戸幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国が戦った
日本近代史上最大の内戦と言われています。
1868年が干支 (えと)で戊辰 (つちのえたつ)にあたり、
この呼称がつけられたそうです。
会津戊辰戦争:
NHK大河ドラマ『八重の桜』で描かれた会津の地での戦い。
江戸の無血開城の後、新政府軍の標的は会津に向けられ、
1968年8月22日旧幕府軍が猪苗代町の母成峠で敗退すると、
新政府軍は若松城下に攻め入り9月22日旧幕府軍が降伏するまで
激戦が続いたとされます。
有名なのが白虎隊:
会津藩が組織した、武家男子(16~17歳)を集めた部隊のこと。
→ この他に玄武隊(50歳以上)、青龍隊(36~49歳)、
朱雀隊(18~35歳)などがありました。
名称は、中国の伝説の神獣「白虎」に由来そうです。
飯盛山での最後の自刃に関しては、飯沼貞吉によって
現在に語り繋がれたとされています。
政府軍は飯盛山で自害した白虎隊士の遺体に
手を触れる事を許さず、結果として約3ヶ月の間放置され、
その後付近の村人らによって飯盛山にある妙国寺に
密かに仮埋葬され、改葬が許されたのは明治2年(1872年)
なんとも悲しい結末に涙してしまいそうです。
実に貴重な歴史を知るに至り、
平和であることのありがたみを
再認識した次第です。