技術者が管理職になることの意味と課題 | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

技術者が管理職になることの意味と課題

 


 

昨晩(1/25)ですが、

前の前の会社でご一緒した後輩と

10年以上ぶりに再会して、川崎で一献やっていました。

昔話に花が咲いたと言うか、懐かしく思い起こされる過去に

いい意味でも、悪い意味でも、

改めて歳を重ねてきたことを再認識しました。

 

技術者も多難な時代でして、

これまで通りでは生きていけない?

 → 新しくなる技術へのアップデートは必須

そんな印象を持った話が多々ありました。

 → ハードの時代は終焉、システム系への精通度が必須?

 

そんな話題の中でのいち場面、自身にも言えることですが、

技術者としてやって来ての管理職への転換期

これをどう対処するかは悩みどころ満載です。

 

文系の方であれば、会社生活での当たり前として、

昇進・管理職への登用があると思います。

昇進を拒む人はほぼいないように思っています。

文系の方は管理職を目指すのが一般的のように思っています?

 → 勿論、例外は存在すると思います。

 

ただ、少なからずの技術者は、管理職業務がやりたくないから

技術者への道を選ぶようです。小生もそうでした。

良くあるイメージ、銀行に勤めて出世できるの・できないの、

同期の一番出世はXXだった、自分は比較してどうだ、

こう言ったことが正直やりたくなかったので、

メーカーでの技術者を志したわけです。

 

ところが、企業に勤めると技術者もサラリーマン

否応なしに昇進話も出るし、良しにつけ悪しきにつけ、

管理職をやらなければならないフェーズはやってきます。

査定で比べられることも避けられません。

 

では、技術者にとって管理職になることは何を意味するか?

それは自身の専門性を捨てること、

自身の手でやれることを人に委ねることを意味します。

まわりまわって言うと、ちょっときつい言葉になりますが

専門職として無能になることを受け入れるに等しい

厳しい選択であると認識しています。

 

人の管理業務に専門能力は必ずしも必要とはされません。

誤解を恐れず言うと、おそらく?

(専門を学習しないとできない、そういったものではない)

 

技術者は選んだ道に専門性をブラッシュアップ、

その選んだ分野で専門性を突き詰め、

研究の道を歩めば学位(博士)を取ることにもなるし

誰にでもできることではないひとつの方向性を目指します。

管理職への登用はその道とは異なるものだと思っています。

 → 極める専門性は、管理業務には無いように思っています。

 

ただ、管理職にならないと困ることとして、

給料が上がらないことに繋がってしまいます。

ノーベル賞や文化勲章でも取れば別ですが、

技術者の給与水準はそれほど高くありません、

経営者や経営幹部に比べると高いとは言えません。

純粋に定年まで技術者をやり続けるのが収入面で

正しい選択と言えるのか? これには難しい判断を伴います。

 

昨晩、話に出たこととして、

管理職が嫌だったので転職、ITスキルを身に付け

失業してでも目指す方向に進んだ!

 → 要件定義~コードを書けるスキル、

生成AI程度のプログラミング程度はできる水準
 

エンジニアの道を究めた生き方を出来る人は、

やっぱり凄いなと思いました。

 

それに比べると、

自身が歩んできた道は何と安易だったか(涙)

管理職業務を10年以上やってしまうと、

すでに技術者としては使えないレベルになってしまい、

60歳を過ぎてからどう付加価値を付けられるかと言うと

既に賞味期限切れ、ただの使えない叔父さんになっているわけです。

 

苦しく厳しい選択、安易ではない道の選択

技術者としてのプライドを重視した選択が

歳を重ねての自身の価値に繋がるような印象です。

それができている人の話は心に響きます。

とても良い話を聞かせて頂いた次第です。