切手で巡る、東海道五拾三次(6~9番宿場) | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

切手で巡る、東海道五拾三次

69番宿場)

国際文通週間の東海道五拾三次完璧コレクションを使い
お江戸東京から京都までをおおよそ1315日かけて歩く、
シミュレーションの日目、
前泊の戸塚からスタートです。

 

 

6番宿場 藤澤・遊行寺 15.平成21年(2009109日発売
 → 戸塚から1里30町(7.19km)の距離
 → 
この構図は何と言っても江の島、遠景に大きく見えます!

 

 

 

 

 

7番宿場 平塚・縄手道 11.平成16年(2004108日発売
 → 遠景の山の間に富士山見えます
 → 藤澤から3里半(13.72km / 20.91km)の距離

 

手前で交差する飛躍と籠を担ぐ棒を持った二人連れの駕籠かきは

当時の街道を仕事場とする人たちであり、

これを描いている広重の意図は 『仕事』 だったかもしれません?

 

 

 

 

 

8番宿場 大磯・虎ヶ雨 8.平成13年(2001105日発売 
 → 平塚から27町(2.94km / 23.85km)の距離

 

描かれている大磯は何故雨だったのか?
それは副題の『虎ヶ雨(陰暦528日の雨)』に由来しています。
曽我兄弟の敵討ちで知られる曽我十郎はこの日に討ち死にし
愛人の虎御前の涙がこの大磯の雨になったとされています。
虎御前は大磯の遊女で、彼女を知っている人にとっては
大磯の地が雨にうってつけの地だったようです。
これを雨の中の海で更に印象付けたともあります。

 

 

 

 

9番宿場 小田原・酒匂川 16平成25年(2013109日発売
 → 最初の城下町、小田原宿手前に酒匂川の渡しがあります。
    水の少ない10月~2月のみ仮橋が架かっていたそうです。
 → 大磯から4里(15.68km / 37.24km)の距離、かなり離れています。

 

ここでの描き方は、のちの『嶋田・大井川駿岸』、と、

特に『金谷・大井川沿岸』と比べると、

どちらがどちらかが分からないくらい似ている?

そんな印象です。

背景の山の色彩にも特徴があり、この後に控える箱根越えを

前もってイメージする効果を狙ったとする演出とも言えます。

 → 小田原は箱根の玄関口としてのイメージは
   もしかするとこの頃には出来上がっていたように思います。

 

 

2日目の総歩行距離は 39.53km、 
江戸からの距離は80.80kmとなりました。
連日の10時間行動、この日もかなり無理をして歩いたので、

結構疲れたと思います。 

明日はいよいよ、難所とも言われる箱根越えになります。