山梨の明治維新150年 | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

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山梨の明治維新150年

土曜日(6/9)の日経新聞,プラスワンでの特集
明治維新150年 歴史学ぶ旅へ を読んで思うに,

山梨では戊辰戦争の影響が一か所だけありました.
甲州勝沼の戦い(1868年3月29日))です.
別名,柏尾の戦い、勝沼・柏尾の戦い、甲州戦争、甲州柏尾戦争など,
いろいろ呼び名はあります.

甲州市の大善寺を拝観すると,
すぐ横に史跡があり,最近整備されたこともあり,
パネルの見学から歴史の一端を垣間見ることができます.

ちょうど,山梨県立博物館で企画展が開催されています.
先週末(6/2),せっかくですので観覧に行って来ました.

歴史散策,なかなかいいですね...

<博物館サイトから抜粋>**********************************

戊辰戦争は,慶応4年(1868)の正月の鳥羽・伏見の戦いで
火蓋が切られた.新政府と幕府の戦いは,
京都から東へと場を移していきました.

甲府には3月4日に新政府軍(官軍)の本隊が到着し,
甲府城は無血で開城されましたが、
甲府盆地の東の入口となる柏尾(現在の大善寺付近)付近で,
官軍と近藤勇ら新選組などで構成された甲陽鎮撫隊の
戦いが起こりました(これが柏尾の戦い).

近藤らは敗れ,3月12日に東海道総督府参謀として
海江田武次が甲府に入り,山梨県ではこの日を「立庁ノ始」としています.
初代の山梨県知事も海江田ということになっています.
その後、甲斐国を統治する組織は,甲斐府,甲府県を経て,
明治4年(1871)11月20日に山梨県に改名します.
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山梨の明治維新はここから始まったと言われています.
たった150年前のことだとは思えない,
大きな変化があった時代でした.