帝国大学―近代日本のエリート育成装置– (天野 郁夫著 / 中公新書)
日本における大学設立の歴史を再認識
読み進めると,案外知らないことが多いことを再認識できました.
大学に学ぶものとしては知るべき歴史と感じています.
国立大学が帝国大学(東京帝国大学,明治19年)から始まり,
これが官立・公立・私立に大別され,
官立は帝大以外に専門学校,実業専門学校,
高等師範学校もあったとのことです
.私立は専門学校と実業専門学校からの昇格で,
昭和初期には26校しかなかったとあります.
私立大学は大正7年の大学令の交付に基づき,
大学の名称を認められるに至るが,
官立大学とは同じ大学として認めなかった
(あくまでも私立大学)学制の
進め方があったことには少し驚きました.
帝国大学はそもそもが理系(医学,理学,工学)中心であり,
帝大以外の官公私立大学がそれ以外を受け持った,
比較的テリトリーがきっちり分かれていた時代を経て,
帝国大学は総合大学でなければならない体裁が整うにつれ,
理系中心の総合大学の色合いが濃くなり(現状もそうですが),
帝大設立に際しては莫大な費用が掛かることから,
明治19年設立の東京帝大から昭和14年設立の名古屋帝大まで
かなりの長い期間をかけた事実は,本書を読むまで知りませんでした.
大阪大学の設立は昭和6年です.
名古屋大学の設立がそんなに最近だったことに
ちょっと驚きました.新設大学なんだと...
昭和15年の高等教育機関入学者の記録からは,
その希少性は今とは全くの別世界で,筆者の言う通り,
大卒のプライオリティーは今とは大きく異なっていたようです.
昨今は年間60万人の大卒者輩出,大学進学率52%
昭和15年,高等教育機関への進学者84,000人,
うち大学進学者は20,000人,帝大入学者はわずか7,000人しかおらず
大学そのものが,いわゆる高等エリートの輩出機関であり,
大学創成期には,教育は大衆化されていなかったわけです.
また,昔の 『学士』 に高い価値があり
(恩賜の銀時計を貰うほど凄い価値,叙勲に相当?),
東京にある学士会館の位置づけも本書から再認識できました.
今の大卒である学士とは大きく認識が異なるということです.
学士卒業生の多くが官庁の高級士官に就いていた事実,
そのあとに続く帝大以外の官公私立大学は銀行会社員の要請を主目的とする,
法・経済・商などの学部主体であったことも,
この歴史の流れの中で出来上がった事実と言えるでしょう!
国立大学における講座制の設立背景についても述べられています.
本書を読むに,高等教育,特に大学における学習と研究は,
ただ単にやることが見つからないから,
とりあえず進学(?)ではあってはならないように思われ,
義務教育とは明確に区分して,
大学進学の目的を明確にした人が進むべきではないか?
今,議論されている高等教育の無償化は,
その目的意識の低い人が増えるような気もするので,
今の日本ではあまり賛成できる現状にないように思えます.
米国では,高等教育,特に大学の表向きの学費が,
日本とは比較にならないくらい高額ですが,
成績優秀者,留学者,諸条件を満たすやる気のある学生は
大多数無償になる仕組みがあります.
このメリハリは,やる気の低い学生を排他できる仕組みでもあり,
ドライなようですが,実は効率重視のアメリカらしい
システムではないかと思うようになりました.
よく考えた進学システムでもある?
→ ただし,多くの問題も内在化していますが...
加えて,日本の大学創成期が帝国大学卒業者を起点に,
欧米の教育を受けた(留学した事実)もののみが教授の座を得て,
その後,年を経て現状の形になってくるとの事実は,
なんとなく分かっていましたが,
はっきり明文化した示唆をいただけたことがありがたかったです.
現状の日米教育制度の比較を考えるうえでも,
とても学ぶべき内容が多い書籍だと思いました.