今日(10/26)の日経新聞 読書 『半歩遅れの読書術』からです.
今月は母校同志社大学総長の村田晃嗣氏のコラム
なかなか興味深く毎週興味深く読ませて頂きましたが
今回で終わりとのことで,最後のコラム『碩学の大学論』は
なかなか興味深い内容でした.
碩学(せきがく):修めた学問の広く深いこと
『大学とは何か?』
この言葉は重いわけで,大学を普通に考えると
高度な教育や研究をなし,人材育成や社会に貢献する活動の場であり,
大学で働く人は一般的には尊敬に値する方々と考えるでしょう.
村田学長のコラムによると,大学はそんな単純なモノではない
驚くほど多様な組織であり,文化であると述べられています.
大学を運営する背景には
教授会(学部毎に形成,体質は旧来型?)
OB会(口は出すがカネは出さない?)
財界人(学生時代の体験レベルで教育論を説く)
政治家(自分のことは棚上げしてグローバル化を説く)
こう言った方々とお付き合いしながらの組織運営は
正論だけで推し進められるモノではなくと
学長というポジションは常に四面楚歌の状態に陥るそうです.
四面楚歌:敵に囲まれて孤立し,助けがないこと
大学とは? の一つの答えとして,
『人と人,人と知識の出会いを持続的に媒介する』
村田学長の目指す所は
古典回帰でない新しい対応の『リベラルアーツ(教養)』の模索
これには同感で,高度に専門化された知識を融合することの重要性を
常々感じるところです.いわゆる専門馬鹿,教養の無さを感じる発言が
結構ある,『この人でもこんなことを言うんだ...』みたいな話です.
この 『大学とは何か?』を
→ 『会社とは何か?』
→ 『組織とは何か?』 と読み替えると更に興味深い...
村田学長は最後に
『学長の式辞に目の覚める思いがした』
と思わせる体験を学生にさせられるか?
これが学長の出来る大学教育の第一歩かもしれないと締めくくっています.
これは会社においては社長が,組織においてはその組織の責任者が
心しておかなければならないことかもしれません?
組織の質はリーダーの器で決まる!
組織の長たる者は 『碩学であれ』
なかなか良いコラムを朝から読ませて頂いた村田学長に感謝,
少なくとも今日のコラムは小生にとっては
目の覚める内容であったように感じた訳です(礼)!