個人的な感想です。
一番始めに思ったのは、なぜあんな型にしてしまったのか、ということだった。
他の作家もたくさんいるはずで、たくさんの作品について説明するよりも、今回問題になったことが先に走ってしまい受け手に見る前から、強い印象を与えてしまった。
例えば、天皇についての作品、そのコンセプトについて知るよりも「燃やされる」情報を受け手が先に得てしまう、不快を感じてしまうと言う人が多くなるのは、当たり前のことにも感じる。
作品について見ること、知ることよりも先に「不快感」を得てしまうというのは、この時代、情報化社会の中では起こりやすいとも感じている。
次に、同じ理由で政治的なニュアンスを含む作品があるとすると、政治的なアイコンとして他国で利用されている報道があるため、日本でもそう受けとられてしまいかねないことは、分かりきっていたとも思う。
このことをもう少し深く押さえてくれていたら、情報と作品への固定観念みたいなものを考える機会にはなったのではないか、とも思える。
しかし、なぜこの機会に雑な方法で展示してしまったのかと、ことごとく残念に思えてしまう。たくさんの有名な関係者がいたのに、と。
他にもたくさんいい作品があったのだろうけれど、すでに強い印象が抜け切らず受け手がそれをクリアにして、他の作品を見れるだろうか。できるとしても、受け手側のアートに対する強い愛がないと難しいのではないだろうか。
時代の流れ、問題を汲みながら作品を打ち出していく作家さんたちには今回のことが逆に考えるきっかけとなって、良い影響があるといいな、とも思う。
今回ニュースをみていて、どうもアートに対して愛情が感じられない話じゃないかなと思っていた。世間の見方もあるが、少なくても作家さんからは支持されているのかと思ったら、作家さんもまた雑さを指摘していた。
ちょっぴり驚いた。
世間の反応が表現の自由を後退させた、後戻りしてしまったというのではなく、展示と公表の仕方が粗雑だったため、そこに何の効果も生み出せなかったのではなかったか。
起こしたことは、簡単に言えば、分断、軋轢、嫌悪だと感じているが、それを望んでいたのだろうか。
みんな、何に怒っていて何を不快と感じたのか、作品の意図とその感情のズレこそが焦点じゃなかったのだろうか。法が、憲法が、というものでない理解を、アートによって生み出せなかったのだとも思う。
私は今回のはなしを三面記事とアートの話だと感じていた。または、三面記事アートだと。
そこが目的であったなら、他の作品の意味はどこにいってしまうのだろうか。