静岡県伊豆半島北部の道路を研究していこう、というこのブログ

第67回のテーマは『伊豆の国市(旧・大仁町)の国道・県道(前編)』です。

大仁地区は南北方向の下田街道と東西方向の道路が交差するところであり、南北方向、東西方向の両方向の道路を見ていきます。
なお、今回は平野部を中心としています。旧・北狩野村地域については別途とします。

国道136号を函南町から南に向かって、旧・韮山町、旧・大仁町を走行したとします。
旧・韮山町と旧・大仁町で沿道の雰囲気がだいぶ違うと感じませんか?

旧・韮山町区間は元々の道をそのまま使っているので、古くからの住宅が立ち並んでいます。
一方、旧・大仁町区間は一本東側の市道が旧道であり、戦後造られた道路です。したがって古くからの住宅は旧道に立ち並んでいるので国道136号の沿道はカーディーラーや商店とかがあります。

なお、国道136号(二級国道下田三島線)の区域決定は昭和28年10月27日です。
それまでは、県道静岡下田線でした。
イメージ 1

イメージ 2

<1・国道136号・南條~御門>
昭和32年4月5日の告示です。韮山村南条1542-1から大仁町田京691-5の区域変更です。告示日は4月5日ですが、『供用開廃』は遡って4月1日となっています。
『田京691-5』ですが、公図で調べましたが該当地番がありませんでした。
しかし、田京踏切の場所が『田京691-4』ですので(下の方に写真を出しています)
その付近と思われます。
イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

図で示すと下図になります。緑ラインが旧道、青ラインが変更後と思われます。
イメージ 6


なお、告示を信じれば昭和32年4月5日ですが、複数の郷土史より狩野川台風(1958年(昭和33年)9月)の後に開通したような記述が見られました(宗光寺村史、守木村史など)。告示上は昭和32年4月5日ですが、実際は違うのかもしれません。

※宗光寺村史には『新道は昭和33年4月に着工された』とあります。

=反射炉踏切南側について=
イメージ 7

今昔マップ等で過去の地図を見ると、反射炉踏切の150m位南側で下田街道が現在の伊豆箱根鉄道とクロスしています。この付近に踏切があったと思われます。
この踏切の名称などについて伊豆箱根鉄道様に問い合わせましたが資料がなく不明とのことでした(2018.3)。

踏切があったと思われる場所の写真です。2017年5月27日撮影。

線路東側の現在市道となっている道路から撮影しました。ガードレールの向こうを国道136号が通っています。
イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

写真の通り、国道136号から線路の高さまで降りる造形があります。
これって、旧路盤の跡でしょうか(未確認)。

なお、『東側の市道』ですが、現在、『韮1-7号線』『大101号線』となっています。かつての町境で路線名が変わるようです。(伊豆の国市役所にて2017.8.15、2018.8.13調査)
イメージ 12

2019.5.11撮影
イメージ 13

ここから2017.4.2撮影
イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

=『横根踏切』跡=
イメージ 17

もう1ヶ所、かつての下田街道の線形は現在と異なっています。
緑ラインがかつての下田街道です。赤いマルの箇所にかつて踏切があり、現在の伊豆箱根鉄道とクロスしていました。

大字宗光寺字横根、大字守木字横根の境界付近です。

こちらは『宗光寺村史』に記述があります。

鉄道敷設によって宗光寺地内に、中川原踏切(横山坂)と中道踏切(矢田釣具店裏)と横根踏切(柴田板金西側)の三つの踏切があった。
三つの踏切の内、横根踏切は旧下田街道との関係で交通量も多く有人で、電車の通過ごと遮断機の上げ下げをし、交通の安全を図っていた。他の二踏切は無人であったためか、電車事故による尊い人命を失っている。
昭和三十年代の後半に入り、電車のスピード化と事故防止を図るため、横根踏切が中道踏切に統合され、中川原踏切と合わせ無人遮断機が設置された。

平成14年10月31日発行『宗光寺村史』宗光寺村史編纂委員会編集、大仁町教育委員会発行 より引用

現在の市道路線名について調査しています。市道大211号線の一部、市道大101号線の一部です。
イメージ 18

2018.3.11撮影『横根踏切』跡地です。三島起点13km地点になります。
イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

この項目の最後に、田京691-4、田京踏切(告示の地番に近い住所)。2017.4.2撮影
イメージ 22

イメージ 23


<2・国道136号・御門~ナメド>
昭和37年6月22日の告示です。
イメージ 24

修善寺町西ナメド37の4ですが、伊豆市修善寺字西ナメドと思います。37-4は公図にはありませんでしたので、土地宝典を参考にしました。
大仁町御門54の4は、現在伊豆の国市御門です。こちらも公図にはなく、近い住所で下図に示します。
イメージ 25

イメージ 26

旧道は緑ラインと思われます。

なお、この区間、現在一部県道として管理されている区間があります。
北から『大仁停車場線』『熱海大仁線(旧・下多賀大仁線)(前編後編)』『韮山伊豆長岡修善寺線』です。それぞれ該当する項目を参照ください。

この区間、狩野川大橋を含みます。狩野川大橋の開通は告示とは異なり、昭和35.6.1でした。
下記、新聞記事より、狩野川大橋開通とこの区間の供用開始は同時ではなく、徐々に供用開始区間が伸びていったのかもしれません
(『完成しつつある新下田街道を…』の部分より)。


『喜びの開通式 修善寺橋と狩野川大橋』 S35.6.2 静岡新聞
【三島発】狩野川台風で流された修善寺橋と新しく架設された狩野川大橋が完成、
1日午後2時から斎藤知事、鈴木万平参院議員、工事関係者多数が出席して盛大な開通式が行なわれた。
修善寺橋は昨年7月に着工、アーチ型のもので工費1億300余万円で長さ101メートル、幅員は6.6メートルの車道を、この両側に1.5メートルの歩道が作られた。
狩野川大橋は建設中新大仁橋と呼ばれていたもので、新しい下田-三島国道の延長に当たる橋、工費は1億3000万円で長さ199メートルと狩野川に架設されてある現在の橋のうちでは一番長い。
幅員は8メートルで、観光伊豆の橋として最も美しい姿を見せる橋となった。中略
橋の両岸には約3000の大仁、修善寺両町民が押しかけ開通を祝った。つづいて完成しつつある新下田街道を60台の自動車がパレードし修善寺橋の開通祝賀にのぞみ狩野川大橋と同じように斎藤知事が紅白のテープを切り3夫婦につづいて約150人の町民がふんする夜叉王、桂、かえでが渡りぞめを行なった。渡りぞめと同時に橋の上からは3個くす玉が次々と割られ1000個の風船が空に放たれた。一方狩野川では消防車10台が一斉に放水、小学生500人も手に手に日の丸をもって心から開通を喜んだ。
また飾り太鼓、みこしが橋から町内をねり歩き夜は7時から全町を上げて提灯行列が
行なわれた。

また、東海自動車の伊豆だよりによると、
・S38.2.1 153号 『大仁新道(修善寺-御門)路線免許なる』
・S38.3.1 154号 『大仁新道 新らしいバス路線』(ママ)
とあります。また、
『大仁新道が東海バスに路線免許となり3月1日より運転開始。6kmのハイウエイ』
という表現も見られます。

この当時は走りやすい道で、『ハイウエイ』という表現でも問題ないような道だったのでしょうね。

現在では、マクドナルド、丸亀製麺、すき家、はま寿司、魚がし鮨、ココス、夢庵、など飲食店も多く、出入りする車があり、走りやすくはないように思います。

<3・県道宇佐美大仁線・大仁静浦港線→沼津伊東線>
続いて東西方向です。

昭和35年4月1日の告示です。宇佐美大仁線、大仁静浦港線が認定されました。
イメージ 27

イメージ 28

イメージ 29

イメージ 30

イメージ 31

イメージ 32

区域決定、供用開始の告示より宇佐美大仁線の終点、大仁静浦港線の起点を図に示しました。
・大仁静浦港線起点部
イメージ 33
     ※青ラインが当時、国道136号(下田三島線)と思われます。

・宇佐美大仁線終点部
イメージ 34

この当時、大門橋~三福インター~広瀬神社~三福山口の道は未開通です。

宇佐美大仁線の終点です。
イメージ 35

2017.9.9撮影。ちょうど角に立っていた野口商店さんの建物は取り壊されましたので、2018.9.17に再撮影しました。しかし、その後この建物も取り壊されました。
イメージ 36


続いて、昭和39年10月20日の告示です。
イメージ 37

イメージ 38

宇佐美大仁線の区域変更が行なわれました。地番より下図と推測されます。
なお、『守木字御門前369-2』ですが、昭和36年の土地宝典を参考にしました。
現在の地番は変更になっているようで、現在の地番だと、御門65-13でした。
イメージ 39
青ラインが『旧』、緑ラインが『新』と推定されます。

旧道区間ですが、現在、市道『大104号線』となっています。
イメージ 40

このタイミングで御門交差点が、宇佐美大仁線の終点、大仁静浦港線の起点となりました。

さらに、昭和40年8月27日の告示です。
宇佐美大仁線、大仁静浦港線が廃止され、沼津伊東線となりました。
イメージ 41
イメージ 42

イメージ 43

イメージ 44

区域決定、供用開始は昭和41年4月22日です。
これまでの宇佐美大仁線、大仁静浦港より下図のルートだったと思われます。
大門橋から狩野川沿いを通って三福インター方向の道は未開通でした。
イメージ 45

最後に昭和43年5月7日の告示です。
イメージ 46

イメージ 47

大門橋から三福インターを通って広瀬神社までの道が開通、区域変更・供用開始となっています。
イメージ 48

大仁静浦港→沼津伊東線だった御門交差点~大門橋ですが、現在市道大106号線となっています。
また、昭和37年6月22日まで国道136号(二級国道下田三島線)でその後、昭和39年10月20日から宇佐美大仁線、その後沼津伊東線となった
御門交差点~田京踏切間ですが、現在は市道大3005号線となっています。
イメージ 49

後編は昭和50年代以降についてです。



※本ブログは公的機関の公式発表ではありませんので、正式な情報が必要と
 される方は関係機関へお問い合わせください。

*************

※地理院地図は2019年5月27-29日現在。いずれも300×400ピクセル以内です。
※静岡県公報は著作権法第13条第2号の規定より、地方公共団体が発する告示ですので、著作権を有しないと考えられますので、そのまま転載しました。
※参考資料 『静岡県田方郡大仁町土地宝典』昭和63年5月29日発行 (株)帝国地図
 『静岡県田方郡大仁町土地宝典』昭和36年8月10日発行 帝国市町村地図刊行会
 『静岡県田方郡修善寺町土地宝典(修善寺地区)』昭和60年3月12日発行
  (株)帝国地図