静岡県伊豆半島北部の道路を研究していこう、というこのブログ
(相変わらず伊豆半島南部を取り上げています)

第13回のテーマは『国道135号(東伊豆町内)後編』です。

前編に引き続き、後編です。
ご面倒でも前編をご覧になってからの方がよいと思います。
なお、関連性の高い、国道135号旧道(現市道)の伊東市八幡野~赤沢間も併せて取り上げます。
今回も前編同様、告示とその解説図中心です。

※超有名・超優良・無料サイト『山さ行がねが』様『国道135号旧道トモロ岬』など参考にご覧いただければ、と思います。
※ほかにも優良サイト多数

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<国道135号 旧道解除 序章>
前編最後の告示(昭和57年3月30日)と前後しますが、昭和57年3月19日の告示です。
ハルニチさんのところでも取り上げていました)
東伊豆町内で旧道部分の区域解除が行なわれました。
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地番から推測すると下図
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現在は町道『31117 向三十目小山尻線』になっています。
(H30.4.12東伊豆町役場にて確認)
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<国道135号被災区間の区域解除、東伊豆町内の旧道解除>
昭和58年4月1日の告示です。この時点で、
・国道135号旧道(東伊豆町湯ノ沢交差点~伊東市境)
・トモロ岬被災区間
・国道135号旧道(白田地区)
が解除されました。
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『伊東市内の旧道(八幡野~赤沢)』『稲取・白田バイパス』は残っています。

1、奈良本~大川(草崎)間とその後の町道について
・国道135号旧道(東伊豆町湯ノ沢交差点~伊東市境)
 H30.3.2、H29.8.15に東伊豆町役場で確認したところ、『10016湯ノ沢草崎線』でした。
 ※『ノ』はカタカナの『ノ』
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2、稲取~白田~片瀬 について
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・国道135号旧道(白田地区)は区画整理により当時の線形は失われました。
※白田字馬場の地番(『白田字馬場334番の3』『白田字馬場320番の59』)は
 参考資料欄記載の土地宝典図を参考にしましたが、ズバリの地番は載っていません
 でした。
 区画整理の影響か、公図で探してもありませんでした。
 また区画整理により当時の線形も失われており、引き継いでいる町道はありません。

・トモロ岬被災区間
 一部区間が町道として引き続き管理されています。

 『被災区間稲取側』
 H29.8.15に東伊豆町役場で確認したところ、『31110黒根支線』でした。
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 『被災区間白田側』
 H29.8.15に東伊豆町役場で確認したところ、『31111白田磯部線』でした。
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 ※『白田磯部線』について
 東伊豆町議会会議録を見ていたら、この地区に旅館新築計画があったようです。
 町道の一部を払い下げしてほしいとの申し出があったようです。
 そのために、一旦は『白田磯部線』が短くなったのですが、計画が白紙になり、
 元に戻される、ということがあったようです。
 
 『平成24年第3回(9月)定例会 東伊豆町議会会議録』
 議案第62号 東伊豆町道路線の変更について
 現在土砂崩れにより行きどまりとなっております食事処磯辺下の旧道、
 町道白田磯部線の終点側の一部区間を廃止する
 町道白田磯部線
 変更前 東伊豆町白田字清水1727番10~東伊豆町白田字磯辺1733番1、
 延長432.30メートル、幅員6.1メートルから7.7メートル
 変更後 東伊豆町白田字清水1727番10~東伊豆町白田字磯辺1733番35、
 延長292.30メートル、幅員6.1メートルから7.7メートル
 隣接する土地所有者から、旅館新築計画の予定があり、敷地と町道部分を
 一体として活用したいとのことで、町道の一部を払い下げしてほしいとの申し出が
 あり、協議検討してまいりました結果・・・

 『平成29年第2回(6月)定例会 東伊豆町議会会議録』
 議案第28号 東伊豆町道路線の変更について
 平成24年10月5日議会において、町道白田磯部線の終点側の一部区間を廃止し、
 その区間 を私道として位置指定道路に管理がえをする目的で路線の変更をする
 手続をとりましたが、
 以前の状態に戻す必要が生じたため、議会の議決を求めるものでございます。
 平成24年10月5日議会において、当時の町道白田磯部線を食事処磯部下までに
 路線長を縮小し、その先の区間を私道として位置指定道路に管理がえを予定して
 いましたが、地先の旅館計画事業者が破産をし、事業遂行ができないことが
 はっきりしたため、以前の状態に戻す手続であります。

 変更前の路線延長292.3メートルを432.3メートルに戻し、道路幅員6.1から
 7メートルは変わらないという内容でございます。

 ※磯部、磯辺 と両方あるが原文ママ
 ※H29.8.15 東伊豆町役場にて東伊豆町道路台帳図を調査したところ、
  路線名は『31111 白田磯部線』
 ※平成元年7月20日㈱帝国地図三島営業所発行『東伊豆町土地宝典』によれば、
  字『磯部』
 ※一方、公図で『白田1733-1』『白田1733-35』を探すと、『白田字磯辺』と
  なっていて、公図では『磯辺』になっています。

<『稲取・白田バイパス』の解除、伊東市内の旧道解除>
昭和60年3月30日の告示です。最後に残った、『伊東市内の旧道(八幡野~赤沢)』『稲取・白田バイパス』が解除されました。
土地宝典及び公図だと、片瀬字横坂1110-1となっています。

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・『稲取・白田バイパス』区間
 現在は町道になっています。H29.8.15とH30.3.2に東伊豆町役場にて
 確認したところ、『10018稲取片瀬線』でした。
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・伊東市内の旧道(八幡野~赤沢)
 現在は市道になっています。2018年4月12日に伊東市役所で確認したところ、
 旧道区間は『八147 八幡野草崎線』でした。
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平成15年第3回(9月)定例会 東伊豆町議会会議録 を見ると下記記載がありました。
町道稲取片瀬線  延長8,928メートル
町道湯ノ沢草崎線 延長7,917メートル(ノはカタカナ)

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<風景写真1 被災区間白田側>
いずれも2018年5月20日撮影
新旧分岐点 言うまでもなく、左:旧道、右:国道135号現道
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通行止標識に書かれた『食事』
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お約束の今も残る『道路情報』
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少し開いている?
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ここから見える伊豆大島
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<風景写真2 被災区間稲取側>
いずれも2018年5月20日撮影
左:稲取・白田バイパス、右:旧道 ※今は両方町道
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付近から見る稲取の街並み
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※地理院地図は2018年6月18日~19日現在。いずれも300×400ピクセル以内です。
※静岡県公報は著作権法第13条第2号の規定より、地方公共団体が発する告示ですので、著作権を有しないと考えられますので、そのまま転載しました。
※参考資料 『静岡県賀茂郡東伊豆町土地宝典』平成元年7月20日発行 帝国地図
      『静岡県伊東市土地宝典(対島地区)その四』昭和54年11月5日発行
      帝国地図

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ここからどうでもいい話です。読み飛ばしてください。

私は地図を見るのが大好きな少年でした。伊豆半島は『観光地であること』や『半島という地域性』から伊豆半島周辺を切り取った地図が多数出版されておりました。
私は昭和50年代半ばから昭和60年代初めに少年期を過ごしますが、このころに見た伊豆の地図は東伊豆道路を有料道路として描いていました。
また、白田~稲取間には東伊豆道路よりもさらに海側に旧道と思われる道が描かれていました。
東伊豆道路は無料開放され、地図の表記も変わりました。それとほぼ同時に海側に描かれていた旧道が地図上から消えてしまいました。
そんな私も大人になり、自身で車を運転するようになりました。
国道135号も何度も運転しました。しかし、子供のころ、地図で見たあの道は実際にはありませんでした。
『あの地図に載っていた道はなんだったんだろう』『いくら東伊豆道路が無料開放されても旧道自体をなくす必要はないだろう』
『人工物の道路が自然に消えるなんてことあるんだろうか』
そんなモヤモヤした気持ちを抱えていたある日、『山さ行がねが』の『国道135号旧道トモロ岬』のレポに出会いました。
詳細は『山さ行がねが』をご覧いただきたいのですが、伊豆大島近海地震で被害を受け放棄された、という衝撃の事実を知ったのでした。
このことをきっかけに、伊豆半島の道路の歴史や変遷を調べてみたい、と思うようになりました。それをカタチにしたのがこのブログです。