我が家は国道135号線から旧道を通って行くのですが、その旧道沿いに「額紫陽花」が咲いています
まだまだ伊豆高原では紫陽花がきれいです
ここは、日本三大仇討ちの一つとされる「蘇我物語」の発祥となった「椎ノ木3本」の近くです
 
伊東家の相続争いにより「伊東祐親」の嫡男「河津祐泰」が「工藤祐経」の家来にこの旧道上の3本の椎ノ木から弓で射殺されたのです(今はその3本の椎ノ木はありません)
旧道の更に下の東浦路に「工藤祐泰」の血塚もあります(伊東市指定文化財)
国道から旧道に入るところに標識も立てられています
浮山の別荘地を抜けると
河津祐泰血塚(射殺され息絶えた処)が見えてきます
 
蘇我物語は、河津祐泰の息子「蘇我兄弟」が10数年後に仇討ちをする、というお話ですが、最初の写真は、その弓を放った場所のすぐ近くに咲いている額紫陽花です

 

血塚のある東浦路は旧下田街道になります
 吉田松陰が黒船に乗ろうと下田に向かって走り抜けた路でもあります
 旧道を作るときに上から土砂を落として東浦路は隠れてしまっていたのですが、大分前に整備されています
所属していた案内人会でも、数年前に網代から大川までの東浦路を散策するイベントをやっていましたが、今年も逆コースの散策イベントが4回に渡って開催されています

旧道は年に一回か二回下草刈りはやっているようですが、紫陽花の管理は全くやっていないようです
地主さんはきっといらっしゃるのでしょうが、何も手入れしなくても毎年花を咲かすのですね
多分昔から自然に咲いていたのかもしれません
ということは、この額紫陽花は刺客が「河津祐泰」に向かって矢を放った瞬間を見ていたかもしれませんね