神奈川県足柄下郡真鶴町の岩地区の海岸では
漁師さんが網の手入れをしていて、のどかな光景が
ふぅ~な気持ちにしてくれました。
カメラを持って歩いていると、近所に住む女性が声を
掛けて来て近くを案内してくれました。
どんど焼きは15日に行われるようで、(もう終わりましたね)
ヤグラが立っていて、子供たちに寄って火が付けられる
ようです。
そこの地域によって飾りつけも違う。
ダルマがいっぱい!(^^)
今では医療も発達して病気で亡くなる子供も少なく
なったかも知れないけれど、昔は子供の身を守るために
祈るしかなかったのでしょう。
そんな子供のお祭り(どんど焼き)は伊東でも行われているけれど、
どの地域辺りまでで行われているのかな。
案内をしてくれた人が「ここは岩ばかりだから”岩”と言われて
いるんだよ」と言ってました。
この地域は箱根ジオパーク、ジオサイトで、爆発的な噴火で
出来た火砕丘を後から流れてきた溶岩が覆い熱で鉄分が酸化
して赤くなっている・・・と書いてあります↓
如来寺跡の洞窟・・気になります!
行くしかないでしょ。
↓ は違います。水路? でもここでも赤く酸化した溶岩を
見ることができました。
ここって写真を撮っても平気?
と案内をしてくれた人に訊いたら、「だいじょ~ぶだよ。みんなバシバシ
撮っているよ」って。
いつ頃のお墓ですか?
と訊いたところ、「わかんないけど、落武者の墓だって嫁に来た時
から言われているよ」って。
たぶん、嫁に来てから50年以上経っているでしょう(^^)
帰名山如来寺跡。
新編相模風土記稿によると、元和6年(1620)に建てられ、本尊は
石仏の阿弥陀如来であったといわれている。
のちに瀧門寺の末寺となり、明治年間に廃寺となりました。
古い境内には石屈があり、中には石造の十三像など(読めない)
があります。
中に。。。入ってみる!
「写真を撮らせてください。こういう時代なのよ」とお参りして
入ります。
真ん中に閻魔像があり、如来像も奥にあります。
ギョ、ギョ!脱衣婆?
旅と犬と史跡巡りと という素晴らしいブログを参考にさせて
いただきます。
鎌倉時代の源頼朝との接点がここにありました。
「無事に海岸に着いた頼朝が嬉しさの余りにこの集落を「祝村」
と名付けたという伝承があるそうで、
瀧門寺に「相州祝村 宝永2年(1705)」の銘が入った半鐘が現存
しており、この半鐘は明治44年(1911)に廃寺となった如来寺から
瀧門寺が継承したものであるという。
つまりこの鐘が鋳造された江戸時代中期(1705)の「岩村」は
「相州祝村」だった事実の物証となるということです。
案内をしてくれた篠さん、近所の女性の方ありがとうございます(^^)/
長くなりましたが最後までありがとうございました(^^)
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