昔、昔、国道135号が無かった頃は、この坂を川奈や吉田方面
から伊東町に行く人達が通っていたらしい。
玖須美の消防会館の横の坂です。
おくまん坂。
案内板にも書いてありますが、坂の途中にある「熊野神社」
が名前の起こりということです。
こんな伝説も残ってます ↓
千坂下って億万坂 (せんざかくだっておくまんざか)
今のおくまん坂
下から上って行くと左側に熊野神社が鎮座しています。
前回来た時より、鳥居が綺麗になってる。
階段は古くて怖いけれど、時代を感じます。
江戸時代はこの辺りが中心だったかな。
小さいけれど綺麗な神社です。
熊野神社を更に上って行くと、大原町という地域に出ますが、
江戸時代に地名として検地帖に「大原」が残されているそうです。
街道として重要な道であったおくまん坂。
「お熊野坂」と書いてありますが、伊東弁では「オクマンダカ」と言った
そうです。
これはいつの時代だろう。右手の丘には昭和六年伊東分教所
(東小学校)が作られたとのこと。
千坂を登って行くと、逆川に出ます。
ここが昔の下田街道で、下田方面に行く時はここを歩いて
行ったそうです。
「伊東の知名」(著・加藤清志)という本によると、江戸時代の
地誌「伊東誌」には、「千頭坂」と書いてあり、
「また、千首に作る。里人言う、このところ、奥野の狩の時、
多くのけだものの頭を埋めたり、よって名づくと」
とも書いてあるそうです。(ノ゚ο゚)ノ
今はひっそりとしているけれど、昔は多くの人達が通った坂
なのです。
平安時代、源頼朝が伊東にいる頃は、この辺り(逆川)の茶屋で、
八重姫とお茶をしたという伝説が残されています。
頼朝が狩に出た帰り道、逆川にある甘酒屋で、二人がはじめて顔を
あわせたと言う。
逆川に、往時「逆川の甘酒屋」というのがあり、「松の露恋の甘酒」と
書いた看板がかけられていたという。
そういう伝説が残されているっておもしろい。
実際に明治大正から昭和初期には「逆川の甘酒茶屋」というのが
あったらしい。
おくまん坂から千坂を上って、逆川まででした(^^)
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