青いかば旅行社さんと歴史散策 | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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青いかば旅行社さんとお散歩に行って来たよ。


”石を探せ?” 何を企画しているのかな~?


口を開けているのは歴史案内人の○○さん。(ナイショね)


伊東市街中古道東浦路を歩いてこんなのを見つけたよ。


地図上で
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が立っている所ぐらい。



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親戚の菩提寺なのにちゃんと見たことなかったな。




伊東市和田  妙隆寺(みょうりゅうじ)


佛現寺輪番八つ寺の一つ。

輪番で護持にあたり、明治の代までその任を果たした。


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境内には”経塚””江戸城の築城石”がありました。

経塚は経文を経筒・経箱に入れて埋めた塚のこと。


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経塚の由来


昭和59年2月の当山本堂再建のおり、偶然にも3基が並んで

発見された1つである。

経塚は、一般的に平安時代中期から造営されはじめたもので

室町期頃が最も多く、経典を理納したものなど様々なものがあるが、

この経塚には一石一字が墨書されている。

発掘調査報告書によると、造営年代は集礫の内容などから、

妙隆寺が真言宗から日蓮宗に改宗した14世紀後半頃と推定している。


これを寺の縁記にてらすと、開創 般若坊法印(はんにゃぼうほういん) 

(改宗後は、日能(にちのう)と改む)か、第二世妙隆尼(みょうりゅうに)

のころと想像される。

また経塚からは、経石のほかに燈明皿(とうみょうざら)などが同時に

発掘されていることから、当時 伊東家の鬼門に位置したこの寺が

その折願所であったことを示唆している。

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ちーさんのブログ 次は江戸城築城石の由来だよ。


(歴史案内人の方は一生懸命説明をしてくれます)



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江戸城築城石の由来

この石は、当山に古くからあったものだが、平成5年暮の調査で、

江戸城修築の際、切り出された城郭用『間知石(かんちいし)』の

一つであると判明した。

石には刻印と呼ばれる紋様が刻まれてる。


紋様から伊予松山(愛媛県松山市)の城主であった

松平中務大輔忠知(まつだいらなかつかさだいすけただとも)

 (蒲生氏郷(がもううじさと)の孫)が新井の天當山(てんとうやま)

にて元和年間初期に採石したものと考えられる。

伊東には現在も江戸城の石垣用石材を切り出して

いる所が40余ヵ所もあるそうです。
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ちーさんのブログ さん風邪を引いていて、鼻水でした。

でもいつも一生懸命ニコニコ


妙隆寺のこの木はけやき?

アート感覚で楽しめる。



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この木は空に向かって真っすぐで、遊び心も持っている

ような気がします。


真っ直ぐに一歩一歩、昨日より今日、そして明日に

向かって進んで行こうとしている青いかば旅行社

さんのツアーが来春に行われるようです。


こうなったらいいのにということは、いつの時代も小さなこと

から始まって行くと思います。


楽しめる街になれば老若男女問わず観光客の方も訪れる

ようになるかも知れません。




ちーさんのブログ そうだな~。

イラスト画イラストAC

青いカバ=青いかば旅行社さんの画像使用




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