4月22日に「第5回山頭火まつりと郷土を知る週間」の
記念講演会が開催されました。
伊東市市史編さん事務局の金子浩之さんが「玖須美の
古地形と防災」、
郷土史研究家の加藤清志さんが「玖須美と新井の
文学碑」をテーマにお話しをされました。
「松尾芭蕉」の碑が伊東に何故あるのか気になっていたの
ですが、今回の講演会に参加して ”謎は解けました”(^-^)
松尾芭蕉は江戸時代、超人気者でした
和田村、新井村というのは、江戸時代は伊東の中心地
であったらしい。
江戸を相手に商売をされていた人達が住んでいて、名主屋敷も
あったという。
松尾芭蕉の碑のある浄円寺に行ってみました。
バス停の所にある石灯籠 常夜灯って掘ってあります。
一晩中灯を灯していたのだろうか・・。
秋葉神社があって、そこから海までつきぬける通りだった。
昔は人家もまだらで、海上からも見通しも良かったので、
永安2年文覚上人が配流の時、源頼朝を説き
激励し、草庵を結び、豆州加茂郡中伊豆町冷川に草庵を
結び、1573年(天正元年)春隋心蓮社三誉上人が和田村に
十劫山浄円寺と開山。
文覚上人と頼朝との関係→ ウィキペディアで
要するに道標ですね。
関東大震災の時に倒れたので、こちらに移したようです。
もともとあった場所は・・
お隣のお家は築100年ぐらい!?中も拝見させていただき
今のこの辺りは、江戸時代は・・・・
名主屋敷があったりして、こんな人も居たのかな~?
「内々にお耳に入れたいことがございます」
「おまえも悪よのぅ」
「そうなのよ。松尾芭蕉は人気があったから道標に
使われたのよ。和田村や新井村は江戸と深い繋がりが
あったのよ。ふふふ・・・」