えびす様
めでたい めで鯛!?
商売繁盛・無病息災・家門栄昌・交通安全
海からあがった霊石
著者 山本 悟
明治二十九年の大晦日。
新井の片隅で、小さな火の手があがりました。
村は後ろに高いがけを背負っています。
火は海からの強い風にあおられ、海辺から山の手へと
かけあがりました。
そして、村内にあった三つの神社をはじめ、家々をあらかた
焼きつくし、やっと消えました。
明治三十一年七月、新社殿が建てられました。その時、
蛭子、諏訪、八幡の三つの神社が一つになりました。
そして大正三年、新井神社と名を改めました。
新井神社
伊東市新井2-15-1
古い神社の一つ蛭子神社(新井神社)には、こんな伝説が
残っています。
斎藤別当実盛の二人の子、五郎と六郎は、京の都で平氏に
仕えていましたが、平氏が滅びてしまったため、
はるか東のはて、伊東の新井へと落ち延びて来ました。
兄弟は、漁をしてくらしをたてるようになりました。
いつか二年の月日が過ぎて行きました。
建仁二(1202)年五月二十日の朝方。
<東の方、海底に霊石あり>
兄弟は、同じ夢のお告げを聞いて目をさましました。
「兄上、夢のお告げにあった霊石とは、いつかこの目で見た
千体崎の海中に、光り輝くもののことではござらぬか。」
「夢のお告げも東の方。」
兄弟は急いで東の浜におり、舟に飛び乗ると、へさきを東に
向けてこぎ出しました。
舟はまるで海上をすべるようにして、千体崎へと吸い寄せられて
行きます。
「ほれ、あそこじゃ」
さざ波の揺れる海底に、ボワーッと光るもの。五郎はこぐ手を
休めました。
「光の消えぬうちに・・・。」
言うなり、六郎はすばやく網を打ちました。ズシリとした手ごたえが
ありました。
「兄上、手をお貸し下され。」
六郎の叫び声で、五郎は ろ をはなし、いっしょに網をたぐり
寄せました。
兄弟は、海底からひきあげた一体の霊石を、舟の中に安置
しました。そして、夢のお告げにしたがって、今度は舟を西の
浜に向かわせました。
舟がしばらく進んだ時のことでした。
にわかに雨雲が出たと思うと、高波が立ち、へさきはまるで天を
突き刺すよう。
荒波にもまれているうちに舟は転覆し、霊石は蛭子岩の上に
沈んでしまいました。
それより百八十年後。元禄二(1320)年一月二十日の大しけの
おり、この霊石が西の浜に現れ、大しけを鎮めました。
新井神社では、正月七日、一年おきに大祭が行われ、みこしが
神社から東の浜におくだりし、お召船で海上を渡り、西の浜に
お上がりになります。
これは、霊石が海からあがった言い伝えを、再現するものだと
言われています。
新井神社から伊東港を望む
伊東温泉 七福神めぐり
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