小川沢 というのは「寺田川」の主流域です。
伊豆の国市境の柏峠に至る周辺の遠い昔のことです。
平氏政権が滅びたのちに、平氏一門の僧は鎌倉に集められた。
源平合戦の折、薩摩守忠廣の弟義廣、敦盛の子忠快、孫の顕信、
このほかにも十余人が存在した。
忠快は、文冶元(1185)年7月に捕えられて伊豆小河郷に流され、
のち武蔵国豊島郡に移された。
と見える「小河郷」も「三島~清水町」の「小河郷」なのか。
『静岡県地名大辞典』の「おがわむら(小河村)」の項には、
「中世」室町期に見える村名。伊豆国伊東荘のうち
所属郷は未詳。
永亭6年12月29日の中原師貞打渡状に伊東荘内十一か村の一つ
として見え、長尾左衛門尉に押領された他の八か村とともに
万寿寺雑拳に打ち渡されている。
現在の伊東市大字岡字小川沢・小川口付近に比定される。
柏峠付近は黒曜石の産地として知られている所でした。
戦後しばらくの間までは、大平山から小川や松原側の「小沢」
へ降ってくる途中(丸山公園の上辺り)で、細かい黒曜石が
拾えたものであった。
(絵はがき伊東いまむかしより)
階段に使われていたこの石のくぼみは?
江戸時代の石切場跡にはこのような石が残されているそうだが、
これはその時代のものなのか?
くぼみにクサビを打ち込み、水をかけてクサビを膨張させ石を割る
そうだが・・・
聴こえるのは水の音だけ
公園として整えられているが、小川の清流は昔と変わらないのでは?
昭和33年の狩野川台風の時には山崩れにより、十数人の死者
を出したそうです
のどかな清流ですが、大雨には注意ですね