なんやかんや
うちの親は
低所得者だったので
私もそこからのスタートでした
帰りの電車はグリーン車にして…
私は6畳、4畳、ダイニングキッチンしかない「1042号室」という公団の団地の部屋で大きくなりました。
そこに父、母、3人の子供という5人家族でひしめき合って住んでいた
…オソロシイ
というわけなんで、
思春期の私には自分の部屋なんて、手の届かない夢。
プライバシー
まったくナシ!
途中は省略しますが
そんな私にとって
離婚=フリーな身となったこと
時間(=空間)の制限がない旅を心から楽しいと思うこと
これらは流れとして必然だったのかも知れません
で、
ここからは私の空想というか、
願望?
父、母だってそりゃがんばってくれていたのでしょうが
せっかく新婚当時、
井の頭線の沿線の
浜田山というステキな街に
住んでいたのに…
なぜそこに、
がんばって賃貸暮らしで良いから
基盤を築いてくれなかったのか!!
そしてなぜ、
がんばって、そこら辺に
小さな家を持ってくれなかったのか!!
なんで、あの公団の団地に移ったのか
そして、
さらにはなぜ
横浜の坂が多く
駅から遠く
不便なところの
建売住宅を買ったのか
父母に
もっと先を見通す目があったなら
もしかしたら今ごろ
私は吉祥寺や三鷹エリアに
住んでいることがてきたかも…
って
あり得なかった未来
中央線から見える
どこまでも平らな関東平野を
眺めつつ
横浜への帰路に
ついています
ま、今住んでるエリアも
良いところはいっぱいあるけどね
鎌倉は大好き♡
