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漢字の読み方について根本的な問題として理解されていないことがある。それは漢字はもともと日本語ではないということ。従って正しい読み方とはつまり中国語での元の発音以外には存在しない。逆に言えば日本語の漢字の発音は全て間違いであると言える。日本語では漢字を借用しているに過ぎないのだ。

漢字は元々一字一音主義によって設計された文字である。そのため本来の使い方を守るのならば、どういった組み合わせにおいても各文字の音は必ず同一でなければならない。これが原則だ。もっとも実際の中国語では話しやすいようにトーンが変化したり特定の条件で別の発音をする例外も存在する。しかしその例外は極めて規則的かつ合理的だ。

しかし日本語における漢字の音はその文字が輸入された時期と経緯に複数のパターンがあるため、同じ文字を場合によって全く違った音で表すことが極めて多く一字一音は完全に崩れている。さらにこれに加えて、訓充てと言われる特定の漢字の組み合わせを特定の言葉とリンクさせて読ませる習慣が存在する。それでもさらに飽き足らず、万葉仮名のように各漢字の音を和語の音に当てはめて記す当て字までが正式な表記として認められている。日本語の文字表記の複雑怪奇さは間違いなく世界一と言えるだろう。そしてそれは決して誇れることではない。はっきり言えば最悪だ。

訓充てや借音による当て字でない言葉の漢字をどう発音すべきかという話しならば、所詮は借り物の文字を誤って使っているに過ぎないのに、不毛な作業だとは思うがまだ幾分でもどちらが正しいとか歴史的にはどうだったかとかを議論する余地はある。しかし弥栄のような明らかな訓充てにおいては、漢字の読み方が正しいかどうかという話しはそもそもの論点自体がおかしい。これは漢字の読み方ではなく日本語自体の問題だろう。弥栄は「いやさかえ」という和語に弥栄という漢字を仮に充てているに過ぎない。本体は弥栄ではない、「いやさかえ」の方だ。そしてそれを「いやさか」と言うのか「いやさかえ」と言うのか、それがこの話しの本質だ。これを漢字の読み違え問題だと考えてしまう人間は全く日本語を理解していない。

「いやさか」と「いやさかえ」の違いは、日本語の言葉が歴史や使用や地域に応じてどう変化するのか、その一例だ。つまり栄という漢字に相当する日本語には「さかえ」「さかい」「さか」などのバリエーションが存在するというだけの皆がよく知っているどこにでもある話。日本語における語末音の省略や音の変化、順序の入れ替わりなどの一般的な現象の一つに過ぎない。

繰り返すが、これは弥栄を「いやさかえ」とも読むとは知りませんでした、という問題ではない。「さか」が「さかえ」の省略形であるという見たまま何の問題もなく理解できる現象に気が付かないことが問題なのだ。漢字の問題ではない。

自分の頭で考えることをせずにこの漢字はこの場合こう読むのが正しいとなんの疑問も持たず探求もせずに丸暗記だけをしてきたような人ほど今回のような罠にはまる。彼らにとって重要なのは与えられた表記と発音の標準とされる組み合わせが合っているかどうかだけであって、それが何を意味し何によって成立しているのかなど微塵も考えたことがない。そういう意味では彼らは人間として生きてさえいない。生きている価値さえない。

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