もちろん個人個人の単位でも日本人の礼儀正しさは突出したものがあるので、ちょっと過激な変わり者でも実はかなりの紳士淑女な場合が圧倒的に多い。暴走族の兄ちゃんが案外普段はいい人だったりするわけだ。
例えば、自民党を見てみればわかるが、あの政党の中身は実は右派から左派までかなり多様な人材で構成されている。しかしそれが党としての一体行動として表に出てくる時にはかなりマイルドな路線が常に維持される。こういう政党は世界的にもかなり珍しいだろう。
戦後すぐの朝日新聞で、フィリピンで日本兵が家にガソリンだか灯油だかをかけて村を焼いたという話しが出ているが、そんなことは日本がするわけがない、なぜなら日本が戦争を始めた理由はその石油を確保するためであり、その貴重な石油をたかが家を焼くために使うなどありえない、そのやり方はむしろアメリカ人の発想だ、彼らの捏造だろう、という記事が載ったことがあるらしい。今はなき綺麗な朝日。
この話しから容易に推測できるのは、つまり南京大虐殺も従軍慰安婦も彼らの自己感覚の投影でしかないということだ。
日本人が悪さをする場合、間違いなくそれは隠れてこっそり少人数でする。大人数が集まるとなぜか人は皆善人になり不思議な抑止力が働く。ここが中国人や朝鮮人と違う点だ。彼らの場合逆に人数が集まると理性がぶち切れる。それも朝鮮人の場合は大人数というよりは数人の少人数からだ。二人いるとすでにヤバイ。その上単体でもかなり躾が行き届いていないのがいるからよけい性質が悪い。
こちらのTV番組を見ても明らかだが、朝鮮人は同調者がいると悪事を正当化して安心する。この現象は日本人には見られないものだ。もし仮にこの番組と同じようなことを日本で言ったら会場全体が凍りつくだろう。逆にスタッフしか回りにいないラジオの収録なんかだとけっこう過激な発言が多くなるのはこういった理由もある。
日本では珍しい人数を集めて暴力的になろうという実験は安保闘争の時に行われたくらいだ。あれは左翼的な論理が暴力を肯定化というかかっこいいものとしていた面がある。今でも過激派と呼ばれる極左が好んで暴力的なのと同じ。しかし、あの運動も結局学生の左翼ごっこに過ぎず、長続きはしなかった。今あの暴れてた連中がおとなしく会社を定年まで勤め上げて退職しようってんだから驚きだ。
先日のカルデロン一家問題に対するデモはこういった日本人特有の集団心理が良い方向に働いた結果だと思う。極右も支持者が増えれば丸くなるだろう。だから変な心配はいらないと私は思っている。