前回のブログでは何かにつけてお手本を求めていたこと、母が着ていた革のコートが差し入れされ、それを実際に見たときにどうしようもない怒りが込み上げてきたことを書きました。
今日はその怒りが込み上げた理由について書いていきます。
私が立川拘置所から刑務所に移送されるころ、母は家を出ていました。
母が出て行く経緯はこちらです↓
https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12599395660.html?frm=theme
どこで生活するか私に教える気は全くなかったようで、このままでは私に殺されるとまで言い放って家を出ていきました。
実の娘に暴力を振るわれ暴言を浴びせられ、人工透析を週3回も受ける母の体力も精神も限界だったのだと思います。
私は母から捨てられたのです。
私が刑務所に来てしまった要因はいくつもあり、そのうちの一つが家庭環境が悪かったこと、親がまともな教育をしてこなかったことが挙げられます。
これらが土台で私という人間が形成され、おかしな感覚のまま大人に成長し、誰の意見にも耳を貸そうとせず好き放題を続けた結果、刑務所に来てしまう人間になりました。
親の育て方は間違っていたけど、それに気付いても修正してこなかったのは結局自分。
親のせいでこうなったんじゃない、自分が選んできた道が間違っていただけ。
それがやっと理解できたころ、母が出て行ったと夫から手紙で知らされるのです。
「私はあなたの背中を見て生きてきて、あなたとそっくりな人間になりました。
具体的に言えば、掃除も料理もしないのが当たり前、キレやすい、依存症になるほどギャンブルにハマりました。あなたがすぐキレるせいで、人の顔色を窺う人間になってしまいました。
でも、そんな自分を変えようとしなかったのは結局私です。刑務所に来てしまったのはお母さんのせいじゃなく、私が人の道を外れてしまったからです。
今は私を産んでくれたことに心から感謝したいです。今まで殴ったり暴言を吐いたりしてごめんなさい。
お母さんに聞きたいです。私のことは好きでしたか?かわいいと思ったことはありますか?
私をパチンコ屋へ連れて行くことが教育上良くないと思ったことはありますか?
どうして朝起きて学校へ送り出してくれなかったんですか?なぜ一切ご飯を作らなかったんですか?悪いことをしていないのに何でいつも怒っていたんですか?」
ここには書ききれないですが、出所したらまず以上のことを必ず母に伝えよう、聞こうと思っていました。
私の中で、親の責任と自分の責任を分ける作業は着々と進んでいたのです。
そんな中、母が私を捨てて家から出て行ったと手紙で知らされるわけです。私に居場所を知らせないでくれと夫に懇願までして。
そっか、逃げるんだね、お母さんは。
私はこうして向き合っているのに、お母さんは自分の責任から、私から逃げちゃうんだね。
私が暴力を振るったり暴言を吐くことに、人工透析に通う母は肉体的にも精神的にも耐えられず、自分を守ることで精一杯だったのでしょう。
そして刑務所まで行ってしまった娘を、もうどうしていいか分からなかったのでしょう。
それが今現在は理解できても、あの頃の私にはすぐ受け入れることが出来なかった。
母のお気に入りのコートを見た瞬間、体中の血液が熱くなる感じがしました。
そして、母のコートを送ってきた夫に対しても無性に腹が立ちました。
これも皆さんにうまくお伝えできるか分かりませんが、
母が自分を捨てたことより、親という役割から逃げたことが許せませんでした。
前回のブログ 湧き上がる怒り はこちら
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