
この4ヶ月週一で入ってきた西荻のカフェでの担当を終えました
ラスト・ナイトはアポなしでいらしてくれたお友達や
地元のお客様とたのしいおしゃべりで満員のうちに終えることができましてちょっと、感無量です
写真はC様にいただいたメッセージカード&わたしが作ることのできた少ないメニュー
さいごに写真でも撮りたいなーとぼんやりおもっていたけどおしゃべりに夢中で全然忘れてしまい
しかし、たとえば写真を撮って思い出に記録するとか、出会った人と連絡先を交換し合うとか、なんかそういう次元とは別のところにある気がするお店です エチカ
わざわざそんなことしなくてもここに来れば会えるときは会えるしそしたらまたねという
アナログのつながり
で思い出しましたが、わたしはカフェをやるよということをミクシイなどに書いて、それを見て来てくださった方もいてうれしかったのですが
なんのかんのでそんなお知り合いを二人無くしました
ネット上でのわたしに期待を抱いてきたけれど、実際あったわたしはその方の期待に沿えるものではなかったのでしょう
お芝居をしていてもあることだけど、こちらが意図するものとちがうものを求めて来られても、差し上げられないのです
そこにご立腹されても、やっぱり仕方がない
というのにはたぶん私のほうも、意図することをはっきりと提示していく必要があったと思うのですが(していたつもりが)甘い部分があったのかな、とも思います
無くしてしまったのは、その後の対処の仕方がわるかったせい
白か黒かでグレーの部分のなさ お店をやるということもお芝居をやるのも、間口をあけることでもあるとおもうのでそのへんの包容力とか
そこでブレないこととか
経験してはじめてわかることでした
知り合いにBarをやっているオカマのTちゃんがいます
上記のようなことでもんもんとしていたある日、早めにカフェを閉めてTちゃんのお店に行きました
Tちゃんのお店はTちゃんとお客の会話を聞いてるだけでもほんとに面白いです(行きたい方、ご一緒しましょう)
閉店間際で申し訳なかったけど話を聞いてもらいました
Tちゃんはお店が小さければ小さいほど大変なのよ、といいます
(ここからはお店をやるほうの話になりますね)
「15人はいるお店でコーヒー一杯500円いただくのなら、4人のお店なら一杯2000円いただいてもいいくらいなのよ」と
それは、何故?と聞くと「だってそれだけ鏡が近いってことだもの、鏡が目の前にあったらおたがい毛穴とかなにもかも見えるでしょう」と
そのときはわかったようなわからないような気持ちになったけど この言葉はあとあと思い出しました
お店の情報をネットに出すことをのぞまない店主は多いと思うのですがTちゃんも然り
薦められて載せたそうなのですが、ネットを見て来てくれた方には、共通点があるといいます
はじめからいいお店だと信じていて、なにも出していないのに「いいお店ですね」と言ったり、よく知らないのに気に入ってくれる Tちゃんにとても期待している・・・
Tちゃんいわく「妄想」だそうですが、
もちろん、ネットをきっかけに来てくれるようになったいいお客さんもいるので
一概にマイナスではないけど
ふと看板でみかけて、おそるおそるあがって来てくれて、この店はどうなんだ・・と冷静にお店を判断して、それでだめならさっさと帰ったり、また選んできてくれたりするお客さん
もしくは、お客さんが連れてきてくれる人など
「顔が見える関係」が良いわといってました
私も最初はこのお店につれてきてもらいました
いつか読んだ「お店をつくるのもお客だけどお店をこわすのもお客」という言葉も思い出したり
お客を選ぶのも、どういうお店にしていくかにもお手本なんかなくて
自分の方法を見つけるしかないのよと言われました
実はちょっとTちゃんにお手本を聞こうと思っていた甘い私、、、
すっかり忘れてたけど、私の母親も結婚前一人で喫茶店をしていたんでした(雇われオーナーで)
聞いたところでアドバイスをするような人でないけど
帰省したら思い出話でも聞いてみようとおもいます
母はそこで父と出会ったのである意味私のルーツは喫茶店なのかしらとも思ったりして
不思議な気分です
人手に渡って違うお店になってるけど、今も牛島の秋田銀行のそばにあります☆
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オーナーY様のご好意で、続けようと思えば続けることもできて
楽しい時間があると、こういうのは必要なんじゃないかともおもうのですが
でもやっぱり、今の私のボリュウムではいっぱいになっていく感じもあり
ほかの事に手を出す都合もあって、いったん区切りをつけることになったのでした
来てくれてありがとうございました
またいつか、形は違うかもしれないけどやりたいです
(信頼なる皆様へ公開)