国の威信をかけたオリンピックとかまるで興味ない生活者の皆さん、所詮会ったこともない他人の金や銀より、やっぱ手前ェのカネですよね。

その命より大事なカネを揺るがす欠損とか大ハマリとか、実に嫌な言葉です。

回らん、足らん、破産、下げマン、厄マン、さらにクスブリ、病気持ちと枚挙に暇がありません。
ちょっと塩水でうがいしてきますね…


昔からこの欠損について、よく稚拙な質問をされました。

曰く「(よく回る台を)信じて打ち続ければ本当に(欠損が)戻ってくるの?」
「すごくハマッてるけどこのままキチンと打ってれば必ず勝てるよね?」

答えはどちらも×です。
独立試行において、将来の結果を論じること自体が無意味ですから「そんなん知るか」が正解です。

何を今さらと、多分皆さんに鼻で笑われて恥ずかしいけど、もう少し続けます。

パチンコは毎回転大当たりが理想ですが、実際にはありえません。
で、高い台ならハマろうが借金しようが、打ち続けます。
打ち続けるしかありません。


収束っていう暖かい言葉があります。
努力が報われた感のある素敵な単語です。

でも、後から収支の折れ線グラフなんか見せられて「ほら、ちゃんと収束してます(キリ」なんて後付けの解説するのが関の山で、実際は数字が意志を持って上がったり下がったりする訳ではありませんよね…


自分はハマリや欠損などを説明する際、グラスに垂らした青インクに例えました。

数滴垂らせばグラスの水は青くなります。
でも器を大きくして水の量を増やせば青インクは薄れていき、さらにバケツを経て浴槽サイズなんかにすれば、もはや透明な水になります。

青インクがハマリで水の量が試行という無理やりな例えで、最初に垂らしたインクは混入された時のままだけど、見た目透明にする行為がいわゆる稼働じゃないですかと…


欠損が響いとるなら、まだ試行が足りとらんのじゃろと、ホールに対して完全に邪気の回った半泣きの打ち子らに向かって面倒臭そうに説明した記憶があります。


当時、生理用ナプキンのCMを見て思いついた能書きですけど、意味は何となく伝わりましたでしょうか?


欠損は嫌ですが、それと同じくらい「余剰」という果実もぶら下がってる訳で、結局自分のような煩悩の塊はいつまで経っても射幸心の虜という、実に救われない話でした。





ところで、男女混合ダブルスってry