ヨーガのカリスマの説法は、実にもっともらしく聞こえてしまいます。
 
しかし、この手の説法をウノミにしてしまうのは極めて危険です。
 
 
====以下、カリスマの説法=====
 

昨年も痛ましい事件がいくつか起こりました。

 

コロナ以前から指摘されてきましたが、社会全体の寛容度が落ちているのだと思います。

 

気持ちのガサガサしたところ、ひりひりしたところがなかなか癒えない。

 

つまり、忙しく、心に余裕が持てないのだと思います。

 
 

心は、わたし一人のものではありません。

 

一人が心を痛めると、必ず周囲の心も痛みます。

 

ただし、痛んだ心でいると、そうした痛んだ心への想像力が無くなります。

 

そして、そうした痛んだ心をさらに痛めつけようとしてしまいます。

 

こうした負の連鎖を断ち切るのは、心の余裕です。

 

わたしたち、一人ひとりが、広い、余裕のある心でいれば、痛んだ心と痛んだ心がお互い傷つけあうことを防げます。

 

一人ひとりが寛容であることから、社会の寛容度が高まります。

 
 

このように、心というものの理解を深めて、その心をよく保つこと、

 

つまりは、広義のヨーガに他ならないのですが、

 

それこそが、実は一人ひとりの、最大、最高の安全保障であることを、

 

今一度、わたしたち一人ひとりがあらためて心得ましょう。

 

そして、それぞれのヨーガを実践して参りましょう。

 
====カリスマの説法ここまで====
 

 

 

 

もちろん、心の余裕が大事だというのは、それはその通りなのですが、逆に言うと

 

「心」という個々人の感情にしか着目していない

 

ということです。これは実に危険なことです。

 

 

 

 

このブログで何回も申しているとおり、ヨーガインストラクターたち、特に重鎮達が

 

「ヨーガ経典もろくに理解していないのに、偉そうにヨーガについて語るとは、何様のつもりか!」

 

と、クセのある会員(はるはあけぼの ヨガDiary)からカスハラにあってしまっていました。

 

 

 

 

重鎮のKo〇N〇先生に至っては、家にまで押しかけらてしまって、 ヴェー〇ーン〇協会(宗教)への執拗な勧誘を受けてしまいました。さすがに困って運営者に相談したのですが

 



「あの人にもヨーガが必要なのです。寛容になりましょう。

わたしたち、一人ひとりが、広い、余裕のある心でいましょう
 

 

といった旨のことを言われてしまい、何の対処もしませんでした。

 

インストラクター達の間では

 

「無視すれば違うターゲットに移るよ!」

 

と言い合い、ババ抜きゲームのようになってしまっていました。

 

 

本当は、あの会員にビビッて何の対応もできないだけのくせに、

この程度のカスハラにすら対応できないくせに

インストラクター達には偉そうな態度を取るので、

本当にストレスです。

 

ああ、すみません、普段グチれないので、ブログでグチってしまいました。

 

とにかく、ここで言いたいことは、

 

「わたしたち、一人ひとりが、広い、余裕のある心でいましょう」

 

と、もっともらしいことを言い広めることで、(残念なことではありますが)逆に、他人の心を平気で傷つけるクセのある人達が、好き勝手やりたい放題の環境を作ってしまっている点です。これが現実です。