先日、仕事の帰りに映画『オーロラの涙』を見に行きました。


映画の前にカラクサカレーで晩御飯


そして、映画館へ。

二月に『小屋番』を見に行った際、予告を見てこの映画に興味を持った。

興味を持った理由の一つが、主人公オーロラの仕事が工場のピッカーだったこと。


私は通販部で働いており、ネット注文の受注や問い合わせ対応、商品のピックなどを主にやっています。


仕事内容が似ていることと、予告だけでしたが映画の質感というか空気感になんとなく共感できそうだったので見てみようかなと思っておりましたキラキラ


好みは分かれるかと思いますが、私は好きなテイストだったな。


今の自分の生活はオーロラとは違うけれど、もし何か一つが欠けたらあっという間にきっと同じようになるだろうなと思った。だからこそ妙にリアルに感じた。


生活は危うく、とても脆い。


人はやはり似た者同士が集まる。職場ならなおさら。似たような能力の人間が集まることが多いのだから。


話す内容も過ぎていく日々も何も変わり映えしない。


今の生活にこれっぽっちも満足していないのに積極的に変えていく気力はない。


物理的に周りに人はいるけど、特に意味のない、社交辞令のような会話を数ラリーほどするだけ。


親切にしてもらうことはあっても私のことを心から思ったり知りたいと思ってくれる人はいない。ホッとできる人などいるはずもない。


それでも、そんな虚しさの中にも、人と言葉を交わしたり声をかけてもらったり、カップケーキを2つ買ってみたり、何でもないことで同僚とくすっとでも笑ったり。そんなことが小さな希望になるのかもしれない。


共感しすぎたのか、ずんとくる何とも言えない感覚が映画を見た翌日も心身に残っていました。


でも鬱々としているわけではなくて、今の自分の、決して裕福ではないが、家に帰ればホッとできて、嫌いではない仕事をして、休日は好きなハイキングをしたり読書したり行ってみたいごはんやに行ったり。


健康な体があり、家では美味しいごはんを食べ、母と他愛もない話を飽きることなく毎日して、こんなに愛おしい存在がいるものかとと教えてくれる愛犬に癒され、夜は何の心配もなくぐっすり眠る。


煩わしさや自由ではないと感じることがないわけではないが、「この毎日がいつの日かのお守りだな」と思える母と愛犬との今の暮らしをもっと大事に感じて過ごそうと思った。


そして、一人が好きなので友人知人の必要性をほとんど感じないが、他人との関わり方を見直すことが私には必要な気がしたし、簡単にスルーしてしまうような小さな小さな希望を拾って生きていくこと、そもそもこれが希望だと気づくことを忘れずにいようと思った。