鉄路「大船渡線」で気仙沼まで来た。ここからはバス路線、正式に言うとBRT(バス・ラピッド・トランジット)の「大船渡線」になる。

 BRTって、厳密に明確な定義があるわけではないんだけど、概ね「バスを基盤とした大量輸送システム」とされている。この表現だけでは色んなケースに当てはまりそうですよねぇ(笑)

 

 とにかくこの一帯、特に海の近くは東日本大震災で甚大な被害を受けた。地震でレールを始め、鉄道施設の殆どが流されてしまった。復活させるには莫大な資金と、時間を要したわけです。

 なので手っ取り早く、地元の交通の要望に応えるため、レールを敷き直す代わりに取り敢えずバスを走らせて代替することになった。その後、「このままBRTを続けるか、それとも莫大なお金を掛けてやはりレールを敷き直すか」という究極の選択を迫られ、最終的にBRT続行で地元の了解が得られたわけです。

 

 

 それにしても初めて来たけど、気仙沼駅にはあちこちにポケモンが飾ってある。

 

 

 東日本大震災を切っ掛けに始まった「ポケモン ウィズ ユー」という活動の一環で、「ポケモンが寄り添うことで、子供たちを笑顔にしたい」という想いが込められているそうです。

 

 さぁ私的には興味は、この駅の構造にある。

 BRTが通る前は当然、ここは鉄道専用の駅だった。

 だからホームもそのままのわけです。

 

 

 一見、よくあるバスターミナルのようにも見えるけど、乗り場はホームの跡。この右側には、ここまで乗って来た大船渡線のレールがあります。バス通路も、鉄路が走ってたところを、レールを撤去して、アスファルトで埋めて専用車道にしているわけですね。

 列車とバスが並行して停車してたりする。他ではなかなか見られない光景ですね。

 

 乗り場表示はこんな感じで、これだけだと普通のバス乗り場に見えるんですけどね。

 

 

 さぁバスがやって来た。

 

 

 これまた、普通のバス車体ですね。まぁ当たり前か。

 

 バスに乗り込んで、車道の側から乗り場を見下ろしてみると、やはり「元ホーム」感が露わな光景がありましたよ。

 

 

 ね? 乗り場の縁、どう見ても元ホームでしょう? 路面の新しさと、縁石の擦り減り具合が合ってない。明らかに後者の方が、ずっと歴史を重ねているわけです。

 鉄路だった頃も、大勢の人がこのホームから列車に乗り降りしてたんだろうなぁ。そして今そこから、私らがバスに乗り降りしてる。そういう人の流れを、この縁石はずっと見てたんだろうなぁ、と思うと何かしみじみしたものを感じてしまいますね。

 

 11時57分、気仙沼発

 

 途中、いかにも線路跡という道を走ってたけど、鹿折唐桑バス停からは一般道に降りた。その後、自動車専用道路を走ったり、乗ってて「いったいどういうコース選定してるんだよ~?」な楽しみがあったんだけど、専用道路を降りて走り出す内、純粋な興味だけで乗っているわけにもいかなくなった。

 

 陸前高田の中心地を通ったからだ。

 大震災の被災地でも特に被害が甚大だったことで知られてますよね。

 今やもう、未来都市のように区画整理され、道が真っ直ぐ、直角に交わってて整然とした街並みなんだけど、つまりはそれだけ津波で元の町が根こそぎやられ、広大な更地になったからこそ全く新たにこんな町が造られた、ということですよね。そう思うと複雑な気持ちになってしまう。この未来都市ぶりは被害の大きさを表してもいるわけだ。

 途中、「奇跡の一本松」というバス停もあった。あの津波にもかかわらず奇跡的に一本だけ残った松ですよね。あっあれだ、と窓から見えたけど、写真に撮る余裕はなかった。

 実は根が枯死してしまったんだけど、震災のシンボルとして残すべきだということで、幹を防腐処理し、心棒を入れたりして補強されてるんだって。モニュメントとして残す意味は本当に大きい、と私も思います。

 

 その後、いかにも高台に移住したような住宅地も通ったりした。自分は今、被災地を走ってるんだ、としみじみ思い知らされる。災害はいつ我が身に降り掛かって来るか分からない。普通にしてられるのはたまたまに過ぎないのであり、今いられることの幸運を感じずにはいられませんでした。

 

 西下バス停を過ぎるとまた線路跡を走り出す。

 ところどころに踏切があるんだけど、よく見るとそれはこちらを遮断する側にあり、バスが通る時だけ開くシステムなんですね。逆踏切。面白~い♡

 

 後、信号場跡みたいなところもいくつかありましたね。元々単線のレールだったから、向かいから列車が来て行違うには、どちらかが待避線に入って待っていなければならない。

 今もその場所で、片方のバスが待機していて擦れ違う。線路跡だからこその光景でした。

 面白いけど、これもまた震災のせいということで純粋に喜んでばかりもいられない。複雑な気持ちに囚われ続けたバスの旅でした。

 

 結局、後半はずっと線路跡を走りました。

 

 

 13時21分、盛着

 

 ずっとバスの中だったので、写真が撮れず文章ばかりの回になってしまって、スミマセン(汗)

 

 次回はここから、三陸鉄道に乗り込みます。