どちらが我が國の國情を叛映した憲灋典だったのか?
明治憲灋典は弊履の如く投げ捨てられ見捨てられた。
しかし
現行憲灋典の基調としたのは亞墨利加合衆國現行憲灋典であったが、
其れが最重要視した自由なるモノ個人主義なるモノの其の當然の行き過ぎから亞墨利加は國家分裂の危機にある。
ある面此れは自由主義的個人主義的憲灋典の破綻である。
果たしてこれはどちらが生き残るべきだったのか?
書きかけ。
續く。
(註)社會主義・共産主義なる用語の持つ意味が一般に餘り理解されていないように感じる。
そこで私は之を私なりに理解する。
兩者ともに皆なの爲めに個人は犠牲になれという敎義を持つ敎えだと理解する。
即ち、個人は社會の爲めに個々の勞働者は勞働者全員の爲めに犠牲になれという
形を變えたファツシズムであると…
そして詰まるところは指導層が潤う爲めの搾取の手段だと…