中央本線の旅の魅力は西線にあり(馬籠~奈良井の旅)  | ★☆日本の酒場をゆくのインフォメーション☆★

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池波和彦の活動を載せていきます。

東京から新幹線を名古屋で乗り換え、中央西線中津川で降り、タクシーで馬籠宿まで来た。
江戸・京をむすぶ中山道69次の馬籠宿から妻籠宿と巡り、奈良井宿を歩き塩尻から帰る旅だ。
馬籠宿は細い山背のかなりの上り坂である。

全長約600メートルの石畳一本道をはさむ民家は一軒ごとに一メートルは差があり、往時は馬でも下りは怖かっただろう。


 

しばらく歩いて昼食に入った(大黒屋茶房)は大きな杉玉が下がり木曽の茶屋の雰囲気をかもし出す。
中へ入るとこれまた古い木曽の、それも枯れていない濃厚な艶を感じる室内だ。
客は全員御婦人で少々恥ずかしいけれど品書には酒の肴もありここで一杯やることもできそうだ。
木曽の地酒「七笑」の燗酒はきめ細かな甘味、酸味、苦味が混じり合い、円熟味が感じられる。
虹鱒の甘露煮、山菜、蕗のとうがこれまた格別。
滋味溢れる山の幸を肴に燗酒をぐびり。
盃に注いだ酒がはらにしみとおる。
〆は木曽名物「栗のこわめし【栗おこわ】」で決まりだ。


店を出て妻籠宿まで歩いた。
妻籠宿は板場宿から42番目。
木曽川に合流する蘭川は巨石のごろごろする急流で、電力王・福沢桃介による最初期のクラシックな水力発電所が無人のまま歴史遺産としてひっそり残る。

 

 

 


橋を渡たると 妻籠宿の五平餅の看板のかかる(しんや)がある。

ここで休むか。

「今日はいい天気ずら」
店の婆さんがお茶を注ぐ。
名物は木曾の五平餅。

 

五平餅はご飯をつぶして団子にして、タレをつけて焼いた物。
特にタレは各店でこだわりがあり、味を左右するひとつのポイントになる。
タレの秘密を婆さんに聞けば、材料はくるみ、ごま、落花生、砂糖、醤油だそうだ。


妻籠宿からタクシーに乗り地理もわからず行き先を言ったが、奈良井宿はたいへん遠く、川を渡り、町を抜け、畑を横切り、中山道をひたすら走り、一時間半も乗りようやく奈良井宿に到着した。
迫り出したひさしは影を落とし、黒ずんだ千本格子の家並が見通せる。
ただ、ぽつんと立つ赤い郵便ポストが、江戸時代と現代をつなぐ一里塚みたいに思える。けれど、通りは現役の生活道路でもある。電柱こそ無いものの、軽自動車やワゴン車の往来が途絶える時間帯は少ない。

鎖状につながった宿場の町並みは、半数以上が江戸末期の建築という。やぐら型の台灯籠や、ほぼ等間隔に点在する水場、大きな板戸に開けられたくぐり戸。まるで時代劇へ迷い込んだかと錯覚する。
突然、尺八の音色が聴こえ振り向くと虚無僧が列をなして歩いていた。

上町の近くへ差し掛かると通りは折れ曲がる。「鍵の手」と呼ばれ、外敵の侵入に備えて設けられた。武家時代の名残としては珍しくない。角の不動明王を祀った小さなお堂は、開放されており、寄り合い所を兼ねている。
同行のK美ちゃんが、奥に鎮座する不動明王像へ、カメラを向けて近づいたとたん、ポッと小さな電球が灯った。しかし、どこにも探知センサーなど見当たらなかった。おそらく、地元のミステリアスなスポットのひとつに違いない。そんな解釈をしてみたくなる雰囲気だ。

 


 

旅籠の上がりかまちに腰掛け靴紐を緩めてしまえば、もう奈良井の時間と同調する。案内された部屋は坪庭の奥にある離れだ。建物は、200年以上前の創業時から維持されており、低い天井が往時の平均体躯を偲ばせる。漆塗りの飯台に供される食事は、山菜や水で冷やされた鯉の洗いなどが主体。特別、現代人向けのアレンジはないだろう。晩酌用に購入した杉の森大吟醸を、いつになくおごそかな気分で合わせる。地元の山菜料理と馴染み、思いのほか酒量がすすむ。
奈良井宿の朝は、凜とした無言の中に明ける。
旅籠旅館を後に塩尻へ向かい中央西線に乗った。