遠い日のノスタルジア 東京王子の老舗酒場「東亜」 | ★☆日本の酒場をゆくのインフォメーション☆★

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池波和彦の活動を載せていきます。

昨今の居酒屋ブームで老舗居酒屋は居酒屋遺産として人気だ。
例えば東京八重洲「ふくべ」、神田「みますや」、鶯谷「鍵屋」、神楽坂「伊勢藤」、十条「斎藤酒場」、京都「神馬」、仙台「源氏」、名古屋「大甚本店」、酒田「久村の酒場」、静岡「多可能」などは建物も古い。
大塚「江戸一」や自由が丘「金田」、湯島「シンスケ」、伊勢「一月家」、天王寺「明治屋」も歴史はあるが、残念ながら建物は新築された。

古い居酒屋は素晴らしい。
阿漕な商売を続けたら店は古くなる前に潰れる。
古い居酒屋は優良店の証拠。
長い間、客と主人で作ってきた雰囲気、空気があり、それはいくら金をかけてもできるものではなく、何十年という時の積み重ねが生む世界だ。

北区の王子に「東亜」という大変古く素晴らしい大衆居酒屋があった。
「東亜」は平成元年頃に閉店してしまったのだ。
古きよき居酒屋は日々、消えてゆく。
思い立った時に行っておかねば後悔する。
その店がもし建物だけでも残っていれば見てみたい。
私は王子へやってきた。
駅近くの柳小路という入り組んだ路地は、どこも昔ながらの構えでここも古い飲み屋横丁だ。
柳小路の居酒屋「福助」に入った。
福助は主人一人でやっている小さな店だ。
主人に「東亜」を尋ねると隣の高齢のひとり客が振り返った。
「駅の向う側。もうないよ、小さな公園になってる」
ともかく行ってみようとあわただしく立ち上がった。
王子のガードをくぐり飛鳥山の下に出た角の空地が「東亜」の跡らしい。
都電線路はここで大きくカーブし上り坂になる。
プウーッーー
さしかかった電車が悲鳴のように警笛を鳴らし、あえぐように登ってゆく。
桜の名所飛鳥山のこんもりした緑を背に「さくら新道」という小さなネオンがひっそり立っている。
ピンクの文字がいじらしくラブリーだ。
吸い込まれるようにそこを入ると暗い路地になる。
その先は、路地にかぶるように二階が一メートルほど張り出し、肘掛け窓のついた不思議な長屋が続いていた。
一階は居酒屋が数軒営業している。
【昨年見た時は一部を除き建物はなくなり更地になっていて、居酒屋は全て閉店していた】
長屋の前は高々と樹の生い茂る飛鳥山が続き、時代劇の宿場に来たようだ。
人影は全くない。
営業している「小料理 愛」に入った。
年配の女将さんが一人で切り盛りしている。
「王子にあった東亜という居酒屋を知ってますか?」
「知ってるわ」
女将さんは名主の滝や王子神社で遊んだ王子育ち。
二階建ての東亜はいつも人があふれていたが、十年以上前に閉店したということだ。
「いつごろからあったんですか?」
「昭和二十二年にはあったから、戦後すぐではないかしら」
都電を利用していた女将さんは、入ったことはないがいつも窓から見ていたそうだ。
「お、久しぶり」
戸を開けた老人は常連らしい。
「あ、ちょうどいい。この人なら知ってると思う。あのね」
すぐに声をかけ話を通してくれ、私は隣に座った。

王子の名物居酒屋「東亜」は、道に面して開け放たれた一階に長机を十何本も置き、並ぶ丸椅子は地面に固定され、客は皆入れ込みで同じ方向を向いて座った。
机二つに女性が一人つき、客の注文を奥に通し、さらに一人が台所につなぐ。
「天ぷら一丁、へーい、天ぷら一丁!ってそれは賑やかなものでしたよ」
名物は、刺身の醤油皿にのった指先ほどの小さな鯨ベーコン二枚十円。
「おかず十円で飲める店」と宣伝されたこの品は人気で、一人で十人前、二十人前と注文が飛んだそうだ。
肴はあらゆるものがあり、だいたい百円から二百円。
酒は、大ぶりの蛇の目湯飲みから下の枡にたっぷり注ぎこぼす。
要領のいいのは枡にこぼれた分をさっと飲み干し、「おーい、こぼれてないよ」と注ぎ足させたそうだ。
往年の大衆酒場の熱気が生き生きと伝わってくる。
説明してくれる老人は目を細め懐かしそうだ。
私は礼を言い席に戻った。
「小料理 愛」を出て、もう一度「東亜」のあった場所に立った。
かつてここに連日客が渦巻いていたのだ。

この日の話は2014年の5月。
「小料理 愛」はさくら新道取り壊しで閉店。
「東亜」は平成元年頃に閉店したという。
今あれば十条の「斎藤酒場」と並び、人気の大衆酒場だろう。

インターネットでは東亜は一切記載なく、昭和の王子周辺を調べたら二枚「東亜」が写っていた。
赤丸が「東亜」。

↑昭和50年代の王寺駅前

↑昭和50年代王子駅前

 

↑現在残るのはさくさ新道入り口看板だけ

 

↑さくら新道、現在一軒残して他は無い