*7年前(2003年)に胃ガンの症状が発覚して以降、その日の症状や気持ちの変化、出来事などを毎日メモ書きで残してきました。
この闘病記は、それを読み返しながら別のブログに綴った過去記事を見直したものです。
手術の2日後(2003年10月12日)、鼻から入っているチューブは唾を飲み込むたびに何とも嫌な感じがあり、肩口からの点滴と硬膜外麻酔のシリンダが邪魔にはなったが、気分はすっきりした朝を迎えることが出来た。
38度くらいの発熱もあったが、それほど怠さなども感じなかった。
朝9時頃にO先生が見え、鼻チューブを抜いて頂いた。
多少の違和感は残っていたが、とにかく喉の奥がすっきりして嬉しかった。
10時半前だったと記憶しているが、回診の先生方がお腹の傷の様子を確認された。
「うん、きれいにくっついている!よしっ」と言って、腹帯と傷を覆っていたガーゼ(?)を外された。
少し驚き、
「もう大丈夫なんですか?」と聞いた。
「大丈夫!このくらいきれいにくっついているなら、取った方が早く良くなる。」
上半身を起こし、おずおずと傷を眺めて見た。
まだまだ痛々しい傷が水月の下から臍の下まで延びていた。
縫い目は13カ所であった(針や管は怖いくせに、切り傷等は平気なのである)。
昼食の前に、M先生のクリニックに電話した。
M先生はご不在だったが、女性スタッフのFさんが出られた。
手術の結果、術後の様子等をお伝えしたら、本当に喜んで頂いた。
早速歩き回っていること、腹帯と傷のカバーが外されたことを付け加えると、「え~!信じられない。」と驚かれていたことを印象深く覚えている。
午後からは、妻と子供達が見舞いに来てくれた。
手術の日にも来させなかった末っ子もやって来た。
末っ子にお腹の傷を見せたら、絶句して立ち竦んだ。
妻や長男達が入院生活や手術の話をして聞かせてもあまり気にもしなかったらしいが、父親のお腹に付いた痛々しい傷を見て相当なショックを受けたようであった。
手術直後だと言うのに、歩き回っている私の姿を見て、少しでも安心してくれたのなら幸いだった。
「とにかく早く元気になって帰るからね!」と約束して、みんなを見送った。
歩き回ったお陰か、夕方からはお腹の中がゴロゴロ鳴り出し、夜中にガスが出た。
「これって、やっぱり盲腸とかを手術した後と同じで喜んで良いの?」と、その日の夜勤の看護師;Sさんに聞いた。
「そうです!腸がちゃんと働き出した証拠ですよ。じろーさんは頑張って歩いておられますので、そのお陰でしょうね。」
Sさんはベテランの看護師さんで、いつもニコニコしておられた。
大人のジョークも良く口にされ、私が担当の看護師;Fさんと2人で話している最中など、
「あら~、邪魔しちゃ悪いから後にするわ。ごゆっくり!」などとからかわれた。
退院近くになった頃だったと記憶しているが、こんな笑い話もされた。
「具合が悪い時は、誰かにギュッと抱きしめてもらうと良いの。じろーさんも奥さんに抱きしめてもらいなさい。そして痛い所があったら???を押し付けてもらうと治るの。お腹が痛くなったら、奥さんにそうしてもらいなさい。」
まだ痛むお腹を抱えて笑い転げたものである。
この日の出来事については、鼻チューブが取れすっきりしたこと、久し振りに末っ子に会えて嬉しかったこと、その末っ子が傷を見て絶句し立ち竦んだこと、ガスが出たことの4つの記憶が強く残っており、その他のことはぼんやりとしか覚えていない。
家族全員に会えた嬉しさか、その夜は興奮気味で少し寝不足になってしまった。