「 ルカによる福音書17-33
自分のいのちを救おうと努めるものはそれを失い、それを失うものはいのちを保ちます。  イエスは、自分自身を発見するためには自分を失わなければならない、と教えた。 」 

 「 自分自身を発見するために自分を捨てる(エックハルト・トール 「ニューアース」 p272 ) 」


 「自分を失わなければ

  自分を捨てる」


 ということは

 失うところのもう一人の私

 捨てるところのもう一人の私

 主体がもう一つないと変


 私が二人いる

 今この瞬間

 同時に

 私が「ふたり」いることになる


 それはどういう意味か?


 形の中にあった

 形の私と形のない私

 すなわち

 形の私(心)エゴが落ちる


 この形のある世界の中の

 (1/生きとし生けるもの)

 心しかなかった私から

 この世界□から

 外へジャンプ

 ↓

 したら

 もう一人

 この世界□形の外の私がいた

 

 誰がジャンプ?

 形のない私がジャンプ

 今までいなかったのに

 実はいつも一緒👑


 

|🙎‍♀|👧|🧑|🙎‍♂|😸|・・

 ↑

 今まで 

(1/生きとし生けるもの)

 だった私

 客観的な世界があることに

 疑いなしの私

 でも苦しい

 いつかは歳を取って死ぬんだ

 

 人は死んだら

 どこに行くのですか?

 魂がある

 梅干しの果肉がなくなっても

 幽界

 霊界

 天界

 過去世を思い出した人もいる

 霊界探訪した人

 スウェーデンボルグもいるし

 悪いことしなければ大丈夫


 でも

 こんなことで

 安心できません


 また人に生まれ変わるの?

 六道輪廻

 漠然とした不安

 今は若いから関係ない

 でも

 確実に無になるなんて

 怖い

 そう自分をみたら

 世界観が一つ□の中で

 もがくしかない


 もしこう言ったことが

 心(エゴ)が作る思い

 世界最大の錯覚

 宇宙最大の勘違い

 ゴジラとキングギドラの世界

 だとしたら


 こんな考え方もありますよ


 ウィトゲンシュタインの

 👑(存在)


 👑←もう一人の私

|🙎‍♀|👧|🧑|🙎‍♂|😸|・・

 

 となったら

 私🙎‍♀は👑(存在)

 これしかいない

 1なるもの

 ほんとうの私は

 世界□の外にいた


 この世界□の中の私を

 一つの波

 一つの雲

 としてみたら消えるしかない


 この世界□の外

 形のない私としてみたら

 波の形が波一つない大海

 雲の形が雲一つない大空


 私は1なるもの

 私はすべて


 「自分を失わなければ

  自分を捨てる」

 

 のではなく

 プラスして


 世界観がもう一つ増えて


 「ふたり」





読んでいただきありがとうございます

毎回毎回、同じことばかり書いている気がします。

申し訳ありません。