永平寺の開祖道元禅師は日々の修行に、
「履物を揃える」という行為を組み込 んでいました。
 履物を揃えることは、
「自分自身を見つめる」
「自分の行いを振り返る」
とい うことにつながると。 
「履物が散らかっていると心が乱れている。 揃っていれば心が落ち着いている。」



19:00~

「 パット走って行かなければならないことが起きたとき、パッパッと脱ぐ、もたもた靴を揃え直す時間はないんですけど、パット脱いでパット揃えているようになれっていうのはあったり・・・・」




「 仏教用語で「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。
「自分の足元を見なさい」という意味の言葉です。
とかく私達は他人の失態や過ちは目につきやすく指摘したくなりますが、他者を見る前に、まず自分の足元を見て、自身を調えよ。という意味になります。
( 妙福寺PRESSより ) 」



履き物を揃える

昔大学のクラブ活動卍で
1年生のころ
ゾウリを
パッパッと揃えてました
宴会の時は
先輩の靴を 

パッパッと揃えてました


そのゾウリを履いたまま

皇居の回りを

一周してたのを

思いだしました


夏合宿では

70人ぐらいのゾウリを

揃えていました

パッパッと


裸足で

浜辺で

突き蹴り

うさぎ跳び

ダッシュ

その後

散らばったゾウリを奪い合って

次の練習へ

もうめちゃくちゃ厳しかった


この時からですかね

靴を揃えたりすることを

通して

整理整頓や

掃除

トイレ掃除

皿洗い

草抜き

植物のお世話

etc.

パッパッとやることが

パッパッとやらなくてもいいと思いますが

大切なんだと思ってます


今だからわかるのですが

ただすることで

思い(エゴ)が入らないのですね


いつも

あれこれ思ってることが

ほとんどなくなる


これが仏教でいう作務

ということですかね

仏教はほとんどわからなくて

父が亡くなるまで

自分の家が真言宗だと知らなかったのですが


ただ座禅や瞑想より

こちらのほうが楽しい

ことがあります

作法とか考えずに

ただすることが