「その火を飛び越して来い、その火を飛び越してきたら。」

新治はその火を飛び越えて、初江の心を手にします。

( 映画 「潮騒」より )



「その火を飛び越して来い、

その火を飛び越してきたら。」

その火の外に出てるから

火に焼かれることもない

山口百恵が言っている


その火とはどこにあるの?

私たちの体がその火

私たちの体が

燃えている


火災保険なしで

この世界□に生まれた

その火の中に生まれた

火事の現場□に生まれた


その火とは何か

病気

老い

私たちの体が苦しみの原因

になって行く

私たちの体が火事で燃えている

火宅の人


そこで脱出口はどこにあるのか

世界観が

自分の心と体しかなければ

夢も希望もない


今私たちが

火事の現場にいると

思っていなければ

脱出口を探すこともない

ほとんどの人は思っていない


体は

日々衰える

苦しい

脱出口があると

信じてることが

必要な条件


「その火を飛び越して来い、

その火を飛び越してきたら。」

とは

どういうことなのか?


体という形が謎ということ

体は

形のある体(痛みの感覚とか)

であり同時に

形のない体(ビリビリ)でもある


まったく異なるものが

私というところにおいて

同時に

存在している


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|生→死|必ず死ぬ(火宅の人)

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埒外の私


脳が作る思考世界から脱出

「その火を飛び越して来い、

その火を飛び越してきたら。」

とは

脱出口があるということ


潮騒

波の騒ぎ立てる音

この世界□から

ジャンプ


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|生→死|必ず死ぬ(火宅の人)

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埒外の私



「火宅」とは、

仏教説話(正確には「法華経 譬喩品」より)

の用語で、

「燃え盛る家のように危うさと苦悩に包まれつつも、少しも気づかずに遊びにのめりこんでいる状態」を指す。